大宮駅からやまびこ41号に乗車(さいたま市),06:18
これまでも一ノ関駅行きはすべて06:30発だったが,今回はなぜか「やまびこ41号」。
2011年からの06:30発は「やまびこ51号」か「やまびこ271号」(これは震災後の特別ダイヤ)だった。
何が変わったのだろう。
一方,一ノ関駅に着くのは,今回は08:36だが,これまでは08:35,09:13,08:33,08:33,08:46と色々。
過去の記録をさらに調べると,2010年が今回とぴったり同じだった(下段8枚目)。震災前に戻った形だ。
ただし,同じグリーンだが,違うのは席がAではなく今回はD,料金も当然ながら違っている(8860-8620=140円)。
1枚目:2013年06月(2013.06.24)
は大宮 06:30発,一ノ関 08:35着の「やまびこ51号」。
2枚目:2013年04月(2013.04.13)
は大宮 07:42発,一ノ関 09:31着の「はやて101号」。
3枚目:2012年10月(2012.10.07)
は大宮 06:30発,一ノ関 09:13着の「やまびこ51号」。
4枚目:2012年07月(2012.07.28)
も大宮 06:30発,一ノ関 08:33着の「やまびこ51号」。
5枚目:2012年06月(2012.06.03)
は大宮 08:22発,一ノ関 10:21着の「はやて103号」。
6枚目:2011年10月(2011.10.20)
も大宮 06:30発,一ノ関 08:33着の「やまびこ51号」。
7枚目:2011年08月(2011.08.20)
は大宮 06:30発,一ノ関 08:46着の「やまびこ271号」。
8枚目:2010年08月(2010.08.10)
は大宮 06:30発,一ノ関 08:36着の「やまびこ41号」。
一ノ関駅を出て西口へ(一関市),08:37, 08:41, 08:42
1枚目:ほぼ定刻通り一ノ関駅に到着。
2枚目:長い連絡路を通って在来線の駅舎へ。
3枚目:西口改札を出る。
駅舎を出たところで左前右を撮影(一関市),08:43
この時点では結構日射しがあったが・・・。
この後,バスに乗車した後は薄日はあるものの空全体が雲に覆われてしまった。
9番バス乗り場,時刻表が変わっていた(一関市),08:44
従来,須川温泉行きの時刻表は下の方に記してあったので(下段),
これをみて須川温泉行きのバスの時刻が書いてないと思い込んでしまった。
実際は,中央にある「須川」というのがそれだったのだが,,,。
これにしばらく気づかなかった。
なお,今回から,これまで10:00発だったのが,09:10発に変更された。
復路のバス時刻は同じ(須川温泉15:00発)なので,これでわずかながら須川高原での滞在時間が長くなった。
ただし,その結果,従来のように,途中で
厳美渓
に立寄ることができなくなった。
かりに立寄るとすれば,遅くとも08:10発の厳美渓行きに乗車しなければならないが,
これだと当日に新幹線に乗車したのでは間に合わない。前日に一関まで移動しなければならないので,
今回厳美渓を訪れるのは止めた。
1枚目:2013年04月の様子(2013.04.01,09:38撮影)。
この時も10:00発。復路のバス時刻も同じ(須川温泉15:00発)。
この間,
2012.10.07,
2012.07.28
にも須川高原を訪れている。
2枚目:2011年08月の様子(2011.08.20,08:53撮影)。
この時から10:00発に変わった。
復路のバス時刻は変わらない(須川温泉15:00発)ので須川高原での滞在時間はおよそ3時間半(11:25-15:00)と短かくなった。
3枚目:2010年08月の様子(2010.08.10,08:45撮影)。
この時は,09:00発。復路のバス時刻は変わらない(15:00発)ので須川高原での滞在時間は
4枚目:2007年06月の様子(2007.06.24,07:08撮影)。
この頃は手書きだった。この時は07:30発とかなり早かったので温泉に泊まらなくとも須川高原に長時間(約7時間40分,08:58-16:40)滞在できた。
ただし,午前7時に一関に着く新幹線はないので,前日中に一関に移動しなければならなかった。
ちなみに,2005.7.24(この時が初回,写真なし)には日帰りで須川高原を訪れている。
9番バス乗り場から駅前広場をパノラマ撮影(一関市),08:44
2,3枚目:駅舎の上にある駅名などが書かれてある看板が新しくなっていた(注)。
逆光なのでここからだと見づらい。
注:よく見ると,中央の駅名部分は変わっていない。
両側の看板の地の色が変わっただけだ。
色を塗り直しただけ?
2013年09月の様子(2013.09.09,14:23撮影)。
2013年06月の様子(2013.06.24,08:40撮影)。
2012年10月の様子(2012.10.07,08:43撮影)。
2012年07月の様子(2012.07.28,08:43撮影)。
須川温泉行きの時刻表が見つからない?のでバスセンターへ(一関市),08:47
上記のように,須川温泉行きのバス時刻がみつからないため,近くにあるバスセンターに問い合わせてみた。
しかし,窓口の係員は「ありますよ」との返事。
納得いかないままバス停に戻り,「須川温泉」でなく「須川」と記入してあることに気づいた。
やれやれ。
9番バス乗り場にて(一関市),08:48, 09:04, 09:07
1枚目:駅舎にピント合わせて再度撮影。
2枚目:バス停裏の一関商工会議所のビルには「リニアコライダーを東北に」と書かれた垂れ幕があった。
リニアコライダーの案内は1,2年前から見かけているが,この垂れ幕は最近,だと思う。
3枚目:バス停には大勢の人がいたが,半数は 09:00発の厳美渓行きに乗車した。
残った12人が須川温泉行きのバスに乗車した(という意味)。
須川温泉行きのバスに乗車(一関市),09:11-09:12
2枚目:整理券番号は「0」。
国道342号を西へ(一関市),09:17, 09:29
1枚目:磐井川にかかる磐井橋を渡る。
2枚目:途中で2頭立ての馬車を追い越した。
これは見覚えがある。
厳美渓にある観光馬車乗り場で同じ馬車を見たことがある(下段)。
ここから厳美渓まではまだかなりあるのだが・・・。どこかへお出かけしていたのだろうか?
2013年04月の様子(2013.04.13,11:41撮影)。
厳美渓を通過中(一関市),09:36
天工橋周辺も撮影しようとしたが,タイミングを逃してしまった。
1枚目:これは天工橋の上流にある「長者滝橋」。
2,3枚目:その上流の様子。
2年前(2012.06.03)
に訪れた際は,この辺まで歩き回った。
2枚目:右側が「長者滝」だ。
3枚目:バスが進んで「長者滝」は左手前へ移動。
2012年06月の様子(2012.06.03,12:32
撮影)。
須川温泉へ,最初は磐井川沿いを走るが,ほどなく離れていく(一関市),09:37
国道342号を西へ(一関市),09:44
黒い雲が多くなった。この先がやや心配。
須川高原へ,矢櫃ダム脇を通過中(一関市),09:54-09:55
このダムの上流側(4枚目)は6年前の岩手・宮城内陸地震(2008.6.14)で斜面が崩落し,通行不能になった。
1枚目:復興後にダムの近く展望所(1枚目)が作られた。
須川高原へ(一関市),09:57
1枚目:金属製のフェンスが続く場所がある。この辺も6年前の岩手・宮城内陸地震(2008.6.14)の際,周囲の山が
が大きく崩落し,磐井川を一時堰止めてしまった。
どういう訳が復旧工事の後はこのようなフェンスが設置されて前方が見えなくなった。
2枚目:その先にある復興を記念した場所。四阿がある。
祭畤大橋が迫る(一関市),10:00-10:01
1枚目:左へ降りていく道路がある。この先に崩落した旧祭畤大橋がある。
祭畤大橋は磐井川の支流,鬼越沢にかかる橋だが,
崩落後,しばらくはこの先に仮設の橋がかかっていた(注)。
現在の橋ができてからは(おそらく)仮設の橋は撤去された?
2枚目:「祭畤被災地,展望の丘」にある駐車場前を通過。
3枚目:駐車場の先に展望の丘がある。
4枚目:新しい祭畤大橋へ。
注:現在の国土地理院の航空写真(オルソ画像)には,仮設の橋を通っていた頃の様子が写っている。
なお,現在の祭畤大橋の上流側には一番古い祭畤橋が今も残っている(通れるかどうかは不明)。
2010年08月の様子(2010.08.10,09:49-09:50撮影)。
これは岩手・宮城内陸地震の2年後に須川高原を訪れた際に撮影した建設中の祭畤大橋。
仮設の祭畤橋から撮影している。
Part II: | 真湯大橋〜須川高原バス停〜栗駒山登山口 2014.06.21, 10:01 - 10:43 |