湿原は「原生生物の宝庫」
原生生物の採集はかなり前から行っていたが,2000年頃までは年に数回程度だった。
また,1995年からスタートした原生生物データベース(原生生物情報サーバ)の
初期の目的は,手持ちの実験材料であるゾウリムシやアメーバの画像を公開することにあった
(→ Green, Databasing diversity, a distributed public-domain approach, Taxon 43, 51-62, 1994)。
その後,徐々に野外採集した様々な原生生物を顕微鏡撮影し,それらの画像も追加して公開するようになった
(公開する際に,撮影した原生生物の種名などを調べることで専門外だった分類に徐々に詳しくなった)。
結果,当初は研究資材(素材)データベースを目指していたが,
徐々に分類(標本)データベースへと変化していった。
これにともなって,
2001年頃から野外採集を積極的に行うようになった(
2000年の採集日数は5日,2001年は32日,2002年は42日)。
ただし,当初は,自宅周辺,ないし,電車で日帰りできる範囲で,田圃や池沼が主な採集地だった。
2004年からは,折り畳み自転車を利用して輪行を行うようにもなった(ただし,夏は暑くて閉口した)。
しかし,2003年(2003.8.14),お盆休みで帰省した際に,たまたま実家の近くにある
沼原湿原(標高 約1230m,2003年の画像はない)
を訪れる機会があった。そこは丈の短い草が生え,全体が水に浸った状態(水深はごく浅い)にある場所だった。
見た目では微生物はほとんどいそうになかったが,とりあえず採集したところ,
意外や意外,そこには驚くほどたくさんの種類の原生生物がいた。
しかも,それらは,種数が多いだけでなく,
それまで採集を行っていた平地の池や田圃にいる原生生物とは異なる種類のものがたくさんいた。
これを契機に,以後は高地にある湿原(具体的にはそこにある池塘)で積極的に採集を行うようになった。
平地にある池や田圃には,従属栄養の鞭毛虫,肉質虫,繊毛虫などが多い。独立栄養生物はやや少なめだが,
緑藻としては緑色鞭毛藻やクロロコックム類(クロレラの仲間)が目立つ。
また,平地の場合はアオミドロなど特定の種が大量増殖しているケースが多く,たくさんいるように見えても,
種数として数がさほどいない場合が多い。
一方,高地の湿原では,基本的に貧栄養のため,従属栄養生物は平地に比べて少なく,逆に独立栄養の藻類が多い。
ただし,藻類といっても,イカダモやクンショウモなど平地に多いクロロコックム類はほとんどおらず,替りに,
ミカヅキモやアワセオオギ,ツヅミモなど大型の接合藻類が多い。
また,従属栄養の繊毛虫や肉質虫には,各グループごとに共生藻を持つ種類が数多く見られる
(共生藻を持つタイプは平地では比較的少ない)。
そして,沼原湿原がそうだったように,見た目では原生生物はあまりいそうに見えないが,
実際には様々な種が少しずついるため,種数としては,平地よりも圧倒的に数が多い(多様性が高い)。
2003年は,
沼原湿原
を訪れた後,
戦場ヶ原(栃木県),
大谷地湿原(長野県),
大峰沼・
古沼(群馬県)
などを訪れた。
以後,徐々に高地の湿原を訪れることが多くなり,近年は,初夏〜晩秋まではほとんど高地にある湿原ばかりを訪れている。
→ 泥炭湿原
湿原はなぜ原生生物の宝庫なのか?
これまでに訪れた湿原(泥炭湿原)の多くは,貧栄養の環境であり,半年以上も雪に覆われている
極めて過酷な場所だ。にも関わらずそのような場所に原生生物がたくさんいる(種数)のはどうしてだろう?
これについては,湿原は長年月の間,安定した水環境が続いているから,と推察している。
平地の水辺は,大水(洪水など)があったり,逆に干ばつなど,常に激しい自然の変化に晒されている。
また,河川の改修や耕地の宅地化など,人間の営みによってもしばしば生息域の環境が乱される。
このため,富栄養ではあるが,水環境が安定しないため,原生生物の多くは生息しにくいと思われる。
こういった変動の激しい環境で生き残れるのは,増殖速度の早い種か,
急激な環境の変化に耐えられる種に限られてしまう(注)。
一方,冷涼な高地の湿原にある池塘は,数百年,数千年の間,安定した水環境を保っている。
このため,貧栄養の環境に適応した種がいったん定着すれば,途中,細胞数が多少は変動するとしても,
絶えることなく生き続けると考えられる。
そのため,池塘が形成されてからの時間が長ければ長いほど,そこに生息する原生生物の種数が多くなる。
これが,湿原が原生生物の宝庫となる主要な原因だと推察できる。
注:河川敷は,大雨が降れば大量の水が流れ,日照りが続けば,川が水位が下がることですぐに干上がってしまう。
緑藻類の一種,
ヘマトコッカス(Haematococcus lacustris)
はこういった場所(例;長瀞の荒川左岸河川敷)でよく目にする。
彼らは環境が悪化すると,すぐにシストを形成して休眠状態に入る。乾燥が続けば,シストであってもその多くは死滅するが,
残ったものの一部は,雨が降ったり,川が増水して水を被るとすぐに脱シストして再び増殖を始める。
また,土壌繊毛虫の代表である
ナスラ(Nassula),
の仲間は,普段はシストの状態で休眠しているが,雨が降って土壌が十分に水を含むと,
まず原核生物の仲間であるユレモが成長を始める。そして,ユレモがある程度増えた段階で,
ナスラも脱シストして餌であるユレモを活発に捕食して増殖する。しかし,餌が少なくなったり,乾燥し始めると
ふたたびシストとなって休眠してしまう。
同じ土壌繊毛虫の一種である
コルポダ(Colpoda)
に至っては,分裂する際にも,
増殖シスト
という殻を作り,その中で細胞分裂する。
常に環境の急激な変化に対応できるよう用心を怠らないのだ。
隠れたホットスポット:岩石段丘
-- 厳美渓 --
湿原に注目してからしばらくの間,夏場は標高の高い山の頂上や尾根にある,いわゆる泥炭湿原を狙って訪れていた
(山の上は涼しい)。
だが,
5年前(2011.08.20),
栗駒山の山裾に広がる須川高原を訪れた際,
新幹線(一ノ関駅)から須川高原へ向う路線バスへの乗継ぎ時間がたまたま空いてしまったので,
時間潰しのつもりで,途中にある景勝地として知られる
厳美渓
を訪れたことがあった(それまではバスの車窓から眺めるだけだった)。
その頃は,川岸は水流に洗い流されやすいので,当然ながら原生生物は少ないはず,と思っていた。
なので,まったく期待しないまま,岩盤(段丘面)の上にある浅い窪みにたまった水をとりあえず採集してみた。
しかし,翌日,持ち帰ったサンプルを観察すると,そこには予想外に多くの原生生物がいた。
これには驚いた。
この理由として,現在次のように考えている。
厳美渓は,岩盤地帯を流れる磐井川の侵食作用によってできた岩石段丘(
岩質は石英安山岩質熔結凝灰岩,
現在の谷形はウルムまたはヴュルム氷期にできたと推定される,文献1)で,
その中でも河床との段差がもっとも大きい天工橋周辺が眺めの良い場所として観光地化されている。
厳美渓
天工橋周辺の段丘面は,河床との段差が大きいので,川が増水しても水に洗い流されることはめったにないと推察できる。
なぜなら,岩盤の上には土壌が堆積し,たくさんの樹木(草も)が育っているからだ。
岩盤上の樹木は,それらが育つ間,樹木や,周囲の土壌を洗い流すほどの大規模な洪水が起きていなかったことを示している(注)。
一方,天工橋の上流側にある
長者滝橋周辺
は,一応,段丘にはなっているものの,段丘面と河床との段差は天工橋ほどではない。
段丘面にはほとんど草木が茂っておらず,かわりに流木などが転がっていた。
これらのことから,長者滝橋周辺の段丘面は,磐井川が増水した際,頻繁に水で洗い流されていると推察できる。
そのためと思われるが,上記のように,天工橋周辺の岩盤上の窪みにたまった水にはたくさんの原生生物がいたが,
長者滝橋周辺ではほとんど観察できなかった。
天工橋周辺にあるような段差が大きい岩石段丘ができるまでには,数万年以上の年月がかかる。
段差が大きくなるにつれ,段丘面が洪水で洗い流される頻度は徐々に減っていくと推測できる。
そうなると,岩盤上にある水たまりに外部からやってきた原生生物が定着する可能が高まる。
結果,年月が経てば経つほど,岩盤上の水たまりに生息する原生生物の種類が増えると予想される。
岩石段丘である厳美渓と高地の湿原(泥炭湿原)は,外見的にはまったく異なるが,
安定した水環境が長期間続いているという点では共通している。
これが両者が原生生物のホットスポットになっている原因と考えられる。
注:天工橋周辺の岩石段丘はまったく洪水の影響を受けない訳ではない。
私がここで採集をするようになってから,磐井川の水位が上昇して岩盤を洗い流すほどの洪水が起きた記録はないが,
2012年には,日本列島を縦断した台風17号(2012.9.30〜2012.10.01)の影響で,
近くを通る道路,および,その周辺に降った雨が泥水となって,天工橋下流側の岩盤をつたって磐井川へ流れ落ちたことがあった。
その結果,泥水の流路となった岩盤上の水たまりには,白い泥が溜り,それまで
観察できたたくさんの原生生物がほとんどが姿を消したことがあった
(2012.10.07)。
しかし,翌年には元通り草(湿地に生えるタイプ)が生え,年ごとに観察できる原生生物の数も回復していった。
-- 長瀞 岩畳 --
この厳美渓での発見に刺激され,以後は,高地にある湿原とともに,段差の大きな岩石段丘を探して訪ね歩くようになった。
ただし,湿原に比べると,厳美渓のような段差のある岩石段丘は非常に限られている。
岩石段丘じたいは,渓流沿いや大きな川沿いを探すと結構見つかるが,
多くの段差はわずかか,あるいは大きな川ではある程度の段差があっても増水した際の水位の上昇が大きいことで,
増水するとすぐに水をかぶってしまう場所ばかりだった。
しかし,ほどなく自宅がある埼玉県の地元には,厳美渓を上回る大規模な岩石段丘があることに気づいた。
それは,埼玉県長瀞町にある
岩畳
(荒川沿い)である(2012.04〜)。
岩畳
は,景勝地であるとともに,日本地質学発祥の地とも云われ,様々な岩石(変成岩の一種,結晶片岩が中心;その中でも緑色片岩が多い)が見られることで知られている
(かの宮沢賢治も学生時代にここを訪れていて,賢治の歌碑がある;近くには埼玉県立自然の博物館もある)。
5万年以上前,荒川は岩畳の上流側で東に向って流れていたが,
秩父地域が隆起したことで(秩父丘陵),流路が変わり,現在のように北に向って流れるようになった。
その結果,長瀞周辺で下刻が進み,現在のような岩石段丘(岩畳)ができたそうだ(文献2)。
岩畳
には,四十八沼と呼ばれるたくさんの池がある。段丘面を形成する岩盤の表面に著しい凹凸があり,
そこに雨水がが貯まって池となっているのだ。
なかには雨が降らないとほどなく姿を消す池もあるが,ある程度の大きさがある池は,水深もあり
長期間雨が降らなくても完全に干上がることはない。
原生生物相はここが最高だった。すなわち,
これまでに訪れた600箇所以上ある採集地の中で,ここがもっとも原生生物の種数が多かった(460種以上)。
自宅に近いため訪問回数が多く,観察頻度が高いのも多少は影響しているが,
もともと原生生物がいなければ,これほどの種数は観察できない。
ほとんどの採集地では,数回,多くても10回程度,観察を繰り返すと観察できる原生生物の種数はそれ以上増えなくなるのだが,
岩畳では10回を超えても増え続けているのである(現在,25回を超えているが,最近はほぼ落ち着きつつある)。
-- 飛水峡 --
他にもないか探したところ,上記のように,段差のある岩石段丘は非常に少なかったが,それでもいくつかの候補地を
見つけることができた。
岐阜県を流れる飛騨川にも段差の大きな岩石段丘があった。
それが飛水峡(
甌穴群散策路,
飛水峡ロックガーデン,
飛水峡 赤池
)である。
遠方のため,訪問回数は長瀞に比べると圧倒的に少ない(甌穴群散策路が5回,2012.05〜,他は3回)が,
観察できた種数はすでに300種を超えている。
3地点のうち面積的に一番広いのが甌穴群散策路だが,岩畳と比べるとかなり狭い。
そのうえ,甌穴群散策路は入口のある西側は,隣接する急峻な山から流れ落ちる水の通り道になっているため,
雨が降るたびに洗い流されているので原生生物は少なめだ。
原生生物が多いのは,東側にある数カ所の水たまりのみ。
それでも300種を超えているのだから,今後,採集を繰り返せば観察できる原生生物の種数は増え続けると予想される。
なお,飛水峡の岩質は,大平洋の海底に放散虫などが堆積してできた頁岩で,
それらが日本列島が形成される際に,大陸プレートに押し付けられ剥ぎ取られる形で隆起した岩盤(これを付加体という)からなる。
押し付けられ剥ぎ取られる過程で,頁岩は激しく褶曲するため,飛水峡には複雑な形をした頁岩が数多く見られる
(とくに甌穴群散策路付近)。
-- ポットホール公園 --
また,同年の9月(2012.09.14)には,さらに遠出をして長崎県佐世保市にある
ポットホール公園(立石の甌穴)
を訪れた。ここは佐々川の一部にある岩石段丘で,たくさんの甌穴があることで知られている。
しかし,面積的にはそれほど広くはない(周辺が宅地化されているので,その影響もあるはず)。
また,観光地化されているためか,あるいは,それ以前にかは不明だが,岩盤には人手がかなり加えられている。
さらに訪れた時は,小雨が降っており,佐々川はかなり増水していた。
これらを総合すると,原生生物はあまり期待できない状況だったが,それでも100種以上(112種)が観察できた。
今後採集を繰り返せば,観察できる種数はもっと増えると予想できるが,なにしろ遠い。
ここで紹介した場所以外にもあちこち訪れた(詳しくはこちら)が,
観察された原生生物が 100種を超えている岩石段丘は,現在のところ,この4ケ所のみである。
●岩石段丘は後出する鉱質土壌湿原が極端化したものともいえる?
岩石段丘を「湿原」の一部に含めるのは,語感からすると,やや不自然に思えるかも知れないが,
実際,岩畳
は足下は岩盤だが,あちこちに草原が発達し,遠めには一般的な湿原とほとんど変わりがない。
一方,後出する鉱質土壌湿原も,表土の直下は砂礫だらけの場所が多いが,外見的には他の湿原(草原)とさほど違いはない。
そもそも,鉱質土壌というのは,有機質に比べて無機質が多い土壌を
示す用語なので,有機質が極限まで減れば,岩石段丘とほとんど区別がつかないはずである。
違いは岩石がひとつにまとまっているか(岩石段丘),細かく割れて砂礫になっているか(鉱質土壌湿原)だけだ。
岩盤の場合は,砂礫と異なり,雨水がほとんど浸透しないので,その点でも湿地化しやすいといえる
(=湧水がなくても長期間水環境が継続する
=岩石段丘は湧水湿地ではないが,鉱質土壌湿原の一種といえる?)。
段丘面の窪みが大きければ,それだけ水が多く貯えられ,干上がりにくくなる。
岩石段丘は低地に多いので,夏場などは水たまりの水温がかなり上がる点で高地の湿原にある池塘とは異なるが,
長期間安定した水環境が続く点では共通している。
これらが岩石段丘の原生生物が多くなる理由と考えられる。
文献1:名勝天然記念物「厳美渓」管理計画書(昭和53年度策定),一関市教育委員会。
文献2:金井忠夫,利根川の歴史-源流から河口まで-,日本図書刊行会,1997。
東海地方に多い鉱質土壌湿原
既述したように,原生生物の野外採集は,当初は,自宅周辺にある田圃や池で行い,徐々に遠出をするようになった。
学会などで遠隔地を訪れる際には,できるかぎり周辺地域での採集を行った(日程的に無理な場合もあったが)。
折り畳み自転車を購入してからは(2004.07〜),自転車を使った輪行も頻繁に行った。
2006年頃からは,初夏〜晩秋の間は,頻繁に高地の湿原を訪れるようになったので,
それ以外の場所は,秋〜冬〜春と,(積雪のため)高地の湿原には行けない時期に集中的に訪れるようになった。
高地にある湿原に比べると,平地の水辺(田圃,池など)は,特定の種(アオミドロやミドリムシなど)が
大量に増殖していることはあるものの,種数としては貧弱な場合がほとんどである。
そのような中でも,一部には原生生物がたくさんいる場所(岩畳などもその一つ)もあった。
また,標高が低い場所にも「湿原」がある。多くは葦が発達していて,そのような場所に原生生物はほとんどいないのだが,
「東海のミニ尾瀬」とも呼ばれる
葦毛湿原
(2004.09〜)などには結構な数の原生生物がいた(2015年現在 97 種)。
ただし,尾瀬は高地にあるので泥炭層が発達した泥炭湿原(4.5 m以上,尾瀬保護財団のHPより)だが,
平地にある湿原(ないし湿地)は,気温が高いため泥炭層は発達しない。
葦毛湿原の場合は,砂礫で覆われた山の斜面を湧水が流れることで,常に湿った状態にあり湿原化しているのだった。
これらの「湧水湿地」については,当初はあまり意識しなかったが,葦毛湿原を何度か訪れる間に,
東海地方にはあちこちに湧水湿地があることを知った。
多くは保護地域となっていて立入禁止だったが,愛知万博の際に名前が知られるようになった
海上の森(瀬戸市)にはたくさんの池や湿地があり,自由に訪れることができるようなので
2013年5月に初めて訪れた。
その結果,海上の森のすべてではないが,一部に原生生物がたくさんいる場所を発見した。
なかでも,海上の森内にある「
湿地」は,原生生物が豊富だった(現在105種)。
ここは最寄りの山口駅から歩いてすぐのところにあるので,
すでに9回(2013.05.12, 2013.12.01, 2014.4.13, 2014.10.19, 2015.04.26, 2015.3.30,
2015.09.10, 2015.11.12, 2016.05.15)も訪れている。
これ以降,高地の湿原に行けない秋〜春の時期は,東海地方をより積極的に訪れるようになった。
そして,これも徐々にだが,それらの地域は近年「鉱質土壌湿原」と呼ばれるようになり,
注目されつつあることを知った。2014年からは,その調査グループが発足し,
私もそのグループに参加させてもらった。
以後はさらに積極的に鉱質土壌湿原を狙って訪れるようになった。
今のところ,東海地方が主だが,かつて訪れた湿原の中にも鉱質土壌湿原と呼べるらしい場所(
山室湿原 2008.06 など)もあるし,
地元の栃木県でも,人手が加わってできた湧水湿地だが,鉱質土壌湿原と呼べる場所(
北条湿地,現在80 種)
も比較的最近(2014.10,2015.10)訪れることができた。
探せば,東海地方以外にも鉱質土壌湿原がたくさん見つかるのではないかと期待している。
注:これまでの経験からすると,
ハッチョウトンボ(Nannophya pygmaea,トンボ科 ハッチョウトンボ属)
の繁殖地として知られる場所の一部は
鉱質土壌湿原のようである。そのような場所は原生生物も多い。
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