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2012.01.15, Part XIII

通船堀大橋〜八丁橋〜見沼通船堀沿い〜見沼通船堀公園

芝川サイクリングロードを北北東へ,今度は通船堀大橋をくぐる(川口市→さいたま市緑区),15:08

ここも対岸の橋の近くに小さな樋管(ないし樋門)がある(さいたま市),15:08
2枚目:望遠撮影。「在家第三樋管」と書いてある。 地図を見るかぎり,あそこはさいたま市緑区大間木(おおまぎ)のはずだが・・・。 川口市在家町は,あそこより南,さきほどの芝川取水施設あたりまでだ。かつてはあの辺も在家町だったのだろうか?

橋の橋脚近くにフェンスにある管理区域境界の案内(さいたま市),15:09
下流側が「さいたま市」,上流側が「埼玉県」。 これと同じものが入谷大橋の近くにもあった。 それには「埼玉県/東京都」(上流側が埼玉県)とあったが, 既述したように,ここと「埼玉県/東京都」の間には「埼玉県/さいたま市」という標識があった。

前方に見えて来たのが八丁橋(川口市),15:10

八丁橋の手前にある量水標?(川口市木曽呂,きぞろ),15:10
1枚目:だいぶ古そうだ。 2枚目:何か書いてある。 「埼玉県水防情報システム,□□□水位観測局,・・・」これ以上は読み取れない。
「埼玉県水防情報システム 水位観測所」で調べたところ, 「河川水位情報」というwebsite にある 芝川にある八丁橋水位観測所/荒川水系 芝川(八丁橋水位局)所在地:埼玉県川口市木曽呂のデータがヒットした。 □□□の部分は,どうやら八丁橋と書かれているようだ。そう思うとそう見えなくもない。 なお,前出の水文水質データベースで調べてみたが,どういう訳かこの八丁橋水位局のデータがヒットしない。 両者とも国土交通省の所轄のようだが,,。なんとなく不思議。

八丁橋手前(川口市),15:10-15:11
1枚目:川岸にはつがいらしき2羽のカルガモAnas poecilorhyncha)がいた。 2,3枚目:川岸から少し離れた場所にはオオバンFulica atra)がいた。 さきほども上根橋近くで見たばかりだ。 4枚目:ややこぶりの鳥もいた。水に潜るとなかなか上がってこない。 これは今日,新河岸川でもみかけた ハジロカイツブリPodiceps nigricollis)のようだ。

八丁橋の袂を横断する(川口市→さいたま市),15:13

八丁橋の脇にある人道橋を渡りつつ芝川の上流を撮影(さいたま市緑区),15:14
当初は,近くにある 芝川第一調節池川口自然公園 へ立寄ろうと考えていたが, すでに午後3時を過ぎてしまったので中止した。 春以降ならまだ十分明るいので立ち寄っても問題ないが,今は冬で日が短いし,今日は曇りなので・・・。
4枚目:この橋は「平成16年8月」竣工。2004年8月なので7年5ヶ月前だ。

人道橋から川岸にある構造物を撮影(さいたま市緑区),15:14
1枚目:上部,2枚目:下部。 これも水位計?かなり古そうなので今は使われていないのだろうが,,。

八丁橋先のフェンスにあった案内(さいたま市緑区),15:15
「芝川の草刈りを10月13日から行います。川の調査や観察をしている方はご連絡下さい」とある。 これと同じ内容のものが天神橋近くにもあった。 ただし,天神橋近くのものは10月11日。どちらも「さいたま県土整備事務所」のものだ。

見沼通船堀沿いを西へ(さいたま市),15:15, 15:16, 15:18
1枚目:工事用の黄色い安全柵があった。見た目はどこも異常はないように見えるが・・・。 2枚目:見沼通船堀,西縁第一の関(注)。 3枚目:前方で左折するが,左側にあるのが見沼通船堀公園。

注(2013.01.12追記):見沼通船堀は日本初の閘門式運河で1731年(享保16年)に完成した(注の注)。 見沼代用水西縁〜芝川〜見沼代用水東縁をむすんで年貢米などを輸送するのが目的だった。 しかし,芝川は見沼代用水西縁&東縁よりも,およそ3m低い位置を流れていた。 そのため,西縁〜芝川間,芝川〜東縁間のそれぞれにパナマ運河にあるような閘門が設置された。 記録によると,1831年(天保2年)には通船堀を経由して数千俵単位で御廻米の輸送が行われ, その他にも穀類・野菜・薪・肥料・乾物・雑貨等,様々な物資の輸送が行われた。 現在の見沼通船堀からは想像もできないほど,かつては賑わっていたようだ。
「見沼通船株式会社」が通船事業にあたっていたが,明治以降,鉄道輸送,自動車輸送の発達にともない衰退, 1931年(昭和6年)2月に廃止された (「金井忠夫著,利根川の歴史-源流から河口まで,日本図書刊行会,1997」より)。 通船堀が利用されていたのは1731〜1931までということで,ちょうど200年続いたことになる。 結構長い。今では想像しにくいが・・・。
注の注:見沼代用水の開削が完了したのが1728年(享保13年)2月なので,その3年後に通船堀が完成したことになる。

左折途中(さいたま市),15:18-15:19
1枚目:角のフェンスが傾いていた。車が追突したのかも。 それとも堀側の斜面が崩れて少しずつ傾いてしまった? 2枚目:通船堀の片側にブルーシートが掛っていた。土手が崩れた?
下段に過去の画像の中でこの付近が写っているものを並べてみたが,いつ頃こうなったかはわからなかった。 (ここを通過した画像は他にもあるが,角の柵が写っているのは少ない)。


1枚目:2011年05月の様子(2011.05.08,11:00 撮影)。 2枚目:2011年02月の様子(2011.02.19,12:47撮影)。 3枚目:2010年12月の様子(2010.12.05,15:04撮影)。

見沼通船堀公園(さいたま市),15:19
いつもはここを素通りするのだが,今回は公園の中へ入ってみることにした。

見沼通船堀公園(さいたま市),15:20
1〜3枚目:四阿近くまで来たところで周囲をパノラマ撮影。 2枚目:四阿の奥に階段状の木道があった。

見沼通船堀公園(さいたま市),15:20
竹林の中で分岐し, 片方は南側の車道(そこが正門?で公園の案内などが色々あるらしい)へ,他方は四阿の先(2枚目)にでるようだ。

Part XIV: 見沼通船堀公園〜東浦和駅
2012.01.15, 15:21 - 15:35