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2011.05.08, Part I

東浦和駅〜見沼通船堀〜芝川左岸沿いを北へ(〜武蔵野線)

北朝霞駅から10:35発の南船橋行きに乗車(朝霞市),10:30-10:34
1枚目:携帯で時刻表を確認。 2枚目:ほぼ定刻通り南船橋行きが到着。

定刻通り東浦和駅に到着(さいたま市緑区),10:48

駅前で出発準備(さいたま市緑区),10:54

駅前の横断歩道を渡ってから駅舎を撮影(さいたま市緑区),10:57

いつも通り附島橋の先を左折(さいたま市緑区),10:59

見沼代用水西縁の左岸沿いを北へ(さいたま市緑区),10:59

見沼通船堀公園の先を右折する(さいたま市緑区),11:00

公園の先で右折(さいたま市緑区),11:00

見沼通船堀沿いを東へ(さいたま市緑区),11:01

見沼通船堀の土手に咲いていた花は・・・(さいたま市緑区),11:02
シャガIris japonica)と ムラサキハナナOrychophragmus violaceus)。


見沼通船堀の遺構(注)脇を通過(さいたま市緑区),11:03
注(2013.01.12追記):見沼通船堀は日本初の閘門式運河で1731年(享保16年)に完成した(注の注)。 見沼代用水西縁〜芝川〜見沼代用水東縁をむすんで年貢米などを輸送するのが目的だった。 しかし,芝川は見沼代用水西縁&東縁よりも,およそ3m低い位置を流れていた。 そのため,西縁〜芝川間,芝川〜東縁間のそれぞれにパナマ運河にあるような閘門が設置された。 記録によると,1831年(天保2年)には通船堀を経由して数千俵単位で御廻米の輸送が行われ, その他にも穀類・野菜・薪・肥料・乾物・雑貨等,様々な物資の輸送が行われた。 現在の見沼通船堀からは想像もできないほど,かつては賑わっていたようだ。
「見沼通船株式会社」が通船事業にあたっていたが,明治以降,鉄道輸送,自動車輸送の発達にともない衰退, 1931年(昭和6年)2月に廃止された (参照:金井忠夫著,利根川の歴史-源流から河口まで,日本図書刊行会,1997)。 通船堀が利用されていたのは1731〜1931までということで,ちょうど200年続いたことになる。 結構長い。今では想像しにくいが・・・。
注の注:見沼代用水の開削が完了したのが1728年(享保13年)2月なので,その3年後に通船堀が完成したことになる。

芝川沿いに出て右折,八丁橋側道橋を渡る(さいたま市緑区),11:04-11:05
前回(2011.2.19)はここを左折し,芝川の右岸沿いを北上した。 が,今回は左岸沿いを北上するつもりなので八丁橋側道橋を通って左岸側へ移動する。

八丁橋側道橋から芝川上流方向を撮影(さいたま市緑区),11:05

芝川左岸沿いへ出た(さいたま市緑区),11:05

ここは直進(さいたま市緑区),11:06
角に案内が立っているが,ここ右折すると,見沼通船堀が続き, その先に緑のヘルシーロード(見沼代用水東縁沿い)がある。 これまでに何度も通っている場所だ。 今年は3月(2011.3.19)に通った。

芝川左岸沿いを北へ(さいたま市緑区),11:06-11:07

桜橋の袂を通過(さいたま市緑区),11:07-11:08

前方に見えてきたのは武蔵野線(さいたま市緑区),11:08

地図では武蔵野線の下を通れるはずだが・・・(さいたま市緑区),11:09

Part II: 芝川右岸沿いを北へ(桜橋〜念仏橋)
2011.05.08, 11:09 - 11:22