友田橋を渡って右折,新江川沿いの未舗装道へ(東松山市),13:18
この付近は2006.02.25に通ったことがある。ただし,前後のルートは異なる。
3枚目:2006年02月の様子(2006.02.25,11:57撮影)。
前方に天神橋が見えるのは今回と同じ。
天神橋の手前,対岸にある樋管を望遠撮影(東松山市),13:18
天神橋を渡り右岸へ移動(東松山市),13:19
1,2枚目:このまま左岸を行くと途中で行き止まりになるはずなので,ここで右岸へ移動することにした。
3枚目:橋の銘板を撮影。「天神橋,1991年8月製作」とある(注)。21年前だ。
注:埼玉県の下に「道示(1978)二等橋」とある。何のことやらと調べてみた。
道示というのは「道路橋示方書」の略称で,道路法・道路構造法に基づく橋や高架道路の技術基準を定めたものらしい。
二等橋というのは府県道のことだが,一等二等の区分は1994年に廃止されたそうだ。
「定着方式:プレテンション方式」というのは,あらかじめ工場で橋桁を造って現地に搬入する工法をいうらしい。
短い橋の場合によく使われる工法だとか。納得。
また,「施行:ピーシー橋梁株式会社」とあるが,この会社は昨年(2011年)に他の会社に事業譲渡して消滅したらしい。
21年の長さを感じる。
天神橋を渡る(東松山市),13:19
1枚目:ここにも「天神橋」の名前がある。書体が今風だ。またガードレール風の欄干も新しい。
かなり最近改修されたのだろう。
根岸橋の袂を横断(東松山市),13:22
1枚目:「老朽化した水道管を取り替える工事を行っています。・・・配水管布設替工事」の案内があった。
上の画像を見ると,橋桁の下にある管の中央部分の色が両端と異なっている。
ここが工事中の部分?
新江川の右岸沿いを北へ(東松山市),13:22
前方を横切るのは国道254号の新江川橋。
2006年02月の様子(2006.02.25,12:03撮影)。
ふたたび左の堤防天端道路へ上がる(東松山市),13:24
2枚目:2006年02月の様子(2006.02.25,12:05撮影)。
ほとんど変わっていない。
古凍橋の袂を横断(東松山市),13:25
Google mapにはこの橋が写っているが,手持ちの地図にはこの橋が描かれていない。
比較的新しいのかも知れない。
ただし,Google mapの航空写真には,前方に見える山王樋管(後出)はちょうど工事中の時のものが写っている。
また,この水路(新江川)じたいもあの樋管ではなく,その左側から堤防をくぐって市野川に通じている様子が写っている。
山王樋管は製作中のため,水路とはつながっていない。
よってGoogle mapの航空写真が撮影されたのは,山王樋管が完成した2005年3月以前,2004年か,場合によっては2003年頃
だと思われる。
2006年02月の様子(2006.02.25,12:06撮影)。
この時は通行止めだった。
山王樋管(後出)は2005年3月に完成したらしい。この時は周辺の整備(堤防工事?)をしていたようだ。
上の2枚目と比較するとわかるが,2006年当時は前方の道は堤防の外を通っていて行き止まりになっている。
しかし,現在は,そのまま前方の堤防につながっている。
遠くに見えてきたのは市野川水管橋と山王樋管(注)(東松山市),13:26
市野川水管橋(全長 258m)の南側(右岸)は東松山市,北側(左岸)が吉見町だ。
注:新江川が市野川に合流する手前にあるのが山王樋管だが・・・。
普通なら川と川の合流点にあれば「水門」か,せめて「樋門」と呼ぶべきではないかと思う。
しかし,後出するように,銘板にしっかり「山王樋管」と書いてあるので樋管なのだろう。
樋管としてはかなり大きい。新江川の実態が川ではなく用水路であるのと,
市野川の堤防に開けた穴ということで樋管にしたのかも知れない。
一般的には樋門にした方が適当ではないかと思うのだが・・・。
山王樋管が迫る(東松山市),13:27
上記のように,Google mapの航空写真にはこの水路は写っていない。
山王樋管ができる前の水路は今より市野川水管橋に近い側にあったことが航空写真からわかる。
Part VIII: | 山王樋管〜市野川右岸沿い〜梅ノ木古凍貯水池〜市野川大橋 2012.02.10, 13:28 - 13:46 |