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Stentor pyriformis の 研 究

培養法の開発
 概説1   概説2  生息場所 静止画・動画  論 文 
 培養法   学会発表  目からうろこ 実験データ

▼培養を試み始めたのは6年前頃から/失敗の連続だった▲
Stentor pyriformis の培養を試み始めたのは,今(2016)からおよそ6年前(2010)だった(はず)。 当初は他のラッパムシ同様,餌生物として Chlorogonium capillatum を使って増やそうとした (餌以外の培養条件も他のラッパムシと同じだった。培養用の塩溶液にはKCM溶液を用いた)。

KCMの組成
塩化カリウム(KCl) 8 mg/1000 ml
塩化カルシウム(CaCl2・2H2O) 13 mg/1000 ml
硫酸マグネシウム(MgSO4・7H2O) 25 mg/1000 ml
(100倍原液を作って保存している)


しかし,最初は1,2回分裂したが,すぐに止ってしまい,次第に弱ってやがて死んでしまった。 しかも,不思議なことに,多くは分裂異常だった。すなわち,細胞が均等に二分するのではなく, 細胞の一部が千切れるような形で不等分裂した。
また,その変化は非常にゆっくりだった。 すぐに死ぬのではなく,しばらくはとくに変化せずに動いていた。 しかし,やがて徐々に細胞が丸まっていき,培養器の底に付着したまま動かなくなった。 その状態で何日も場合によっては1ヵ月以上も,細胞としての形は維持するのだが, 気がつくといつのまにか細胞が溶けて姿を消していた。
120年以上前の Johnson の論文に書いてあるとおり,1ヵ月程度で死に絶えてしまったのだ。 後に,より長生きさせることができるようになったが, それでも細胞が増えることはなく,2,3ヵ月後には結局,死に絶えてしまった。
やむをえず,翌年,ふたたび山へ行き,サンプル採集を行って培養を試みるのだが, 結局また同じ結果に終る,ということを5年間繰り返した。
S. pyriformisの生息場所は,標高1000〜2000mの高地のため, 6月(場所によっては7月)頃まで残雪で覆われている。 したがって,採集できるのは7月〜10月の雪のない時期に限られる。 また,遠方のため1泊2日かかることが多く,時間的な制約もある。

この間には,
1)餌生物に問題があるかと考えて,長年培養している様々な生物(鞭毛虫や藻類など数十種, メモを残したはずなのだが,,だいぶ前なので,,,)を餌生物として与えてみた。
2)採集地が高地の湿原なので,低温条件が必要かと考えて低温(15度前後)で培養してみた。
3)もしかすると,最初考えたように,細胞内にいる藻類との共生が進んで,いまや完全に独立栄養に 変わっているのでは?と考えて,藻類と同じ培養条件にしてみた。
など色々試みたが,いずれも結果は同じだった。すべて死に絶えてしまった。

▼問題は培養液の塩濃度だった▲
どうして増えないのだろうと,長い間考え続けたのだが,徐々に,以下のことに気づいた。 すなわち, S. pyriformis が生息するのは山の尾根や頂上近くにある湿原(湿地)がほとんどである(注1)。 そこは川など水路からの水の流入がない,雨水のみを水源とする場所である。 すなわち S. pyriformis極めて貧栄養の環境にのみ生息しているのだ(平地ではまったく見られない)。
雨水は,基本的に蒸留水と同じなので塩類をほとんど含まない。 ならば,ということで脱イオン水(DW)に S. pyriformis を入れてみたところ,弱るどころか皆元気に動き回っていた。 これには驚くと同時に,もしかしたら,ということで,KCMの濃度を1/50(導電率は 2 μS/cm以下,おそらく1.5 μS/cm前後のはず) に希釈して培養を試みたところ(注2), S. pyriformis が増殖し始めたのである。
それまでは,ほとんどの原生生物はアメーバ用に開発された塩溶液であるKCM(導電率は 75 μS/cm余)で培養できていたので (従属栄養の場合はこれに餌生物を加える。独立栄養の藻類の場合はハイポネックスなどの液肥を加える), S. pyriformis もそれでよいだろうと勝手に思っていたのだが,それが間違いだった。 わかってみればごく当然のことだが,それまで自分の中にあった常識というか,既成概念が打ち破られた瞬間であり, まさに目から鱗が落ちる思いがした。

注1:これまでに S. pyriformis が観察されたのは以下の通りだが,どれも水路とはつながっていない。
田代平湿原*八甲田 毛無岱千沼ヶ原, 八幡平( 安比高原*大谷地大沼湿原北西尾根*八幡沼湿原黒谷地湿原裏岩手縦走路沿い三ッ石湿原 ), 田代平*西吾妻一切経縦走路沿い仙水沼分岐近く*栂平*鳥子平*吾妻 麦平田代山湿原*鬼怒沼湿原, 尾瀬( 広沢田代,熊沢田代横田代*富士見田代
尾瀬の本体部分 では,これまで一度しか採集していないが, S. pyriformis は観察されていない。尾瀬の本体は,春には大量の雪解け水が流れる(これがミズバショウには適している)し, 訪れた研究見本園では,木道脇の水路で魚が泳いでいた。 これではS. pyriformisの生息はとても期待できない。

注2:脱イオン水(DW)にしないで1/50に希釈したKCM を用いたのは,塩濃度をゼロにしてしまうと, 餌生物が死んだ際に出る塩類など,わずかに混入する塩類の影響が大きくなると考えたからだ。


また,この頃までには,餌生物として Chlorogonium capillatum 以外に Polytoma tetraolareChilomonas paramecium が使えることがわかっていた。 いずれも無菌培養が可能で,短期間に大量に増えるので,餌生物として適している。
S. pyriformis の餌としてどれがベストか検討した結果,Chlorogoniumは, 餌として与えた後,食べ残ったものは短期間に死んでしまうので培養液が汚れやすい。 したがって,貧栄養の環境に適応している S. pyriformis の餌としては好ましくない。 ( Chlorogonium capillatum は,培養中でもすでに死んでいる細胞が混じることが多い) Polytoma tetraolare だと,やや増殖しずらそうだった(まだ十分に確かめていない)。
ということで,以後は Chilomonas paramecium を餌として与えることにした。 C. paramecium は,試験管培養では,定常期に達すると,(おそらく酸欠のためだろうが)すぐに死滅するというやっかいな性質を 持つが,平底フラスコで水深を浅くして培養すると,定常期を過ぎてもすぐには死ななくなる。 なにより,培養液を除去して餌とした与えた後も,かなり長い間,死なずにいるので培養液が汚れにくく餌として適していた。
#昔(1999年よりも前,正確な記録がない),キロモナスの無菌培養を試みた際,40株以上の無菌化,単離培養を行ったのだが, そのうちの一部は,試験管培養に移すと,低温(16℃)で培養しても,定常期に達すると,わずか3日で死滅してしまった。 また,全体の半分以上は,植え継ぎを一週間以内に行わないと絶えてしまうものだった。40株以を毎週,植え継ぐのはかなりしんどい。 そのため,多くの無菌培養株を絶やしてしまい,2016年現在では10株程度しか残っていない。

▼最大の問題は分裂速度の遅さだった(今でも完全には解決していない)▲
培養用の塩溶液の濃度を極限まで下げ,餌生物を Chilomonas paramecium にすることで ようやく培養を継続できる基礎的な条件ができた。 しかし,最大の問題はその先にあった。 すでにその頃までに, S. pyriformis の分裂速度はどうもかなり遅そうだ,ということにはうすうす気づいていた。 餌が少ないからではなく,どんなに条件を整えても最大の分裂速度が極めて遅いのだ。 実験に用いられるゾウリムシ(Paramecium)は,十分に餌を与えると一日に2,3回は分裂する。 アメーバ( Amoeba proteus )は比較的遅いが,それでも最適条件だと1日に1回程度は分裂できる。 他の繊毛虫,他の従属栄養生物は,それよりもずっと速い。
独立栄養の藻類(クロロコックム類,接合藻類など)は,従属栄養の肉質虫や繊毛虫に比べると,かなり遅いが,それでも ミカヅキモの一種, Closterium moniliferum などは最適条件で1日に1回程度の速さで分裂するし, 他のものでも数日あれば1回程度は分裂する。
しかし,しかし, S. pyriformis はそれらに比べて,圧倒的に遅いのである。 S. pyriformis は,なんと1ヵ月に1回か,それ以下(2ヵ月に1回?)しか分裂しないのだ。 それも餌を与えないからではなく,数日か,遅くとも1週間に1回程度は培養液(塩溶液)を新鮮なものに変え, 餌のChilomonas parameciumを十分な量加えてやっても,1ヵ月の間はほとんど何も変化が起こらない。
#長い間,これに気づかずにいたため,多くの実験を失敗してしまった。 色々条件を変えて培養を試みたのだが,他の生物なら少なくとも数日後には結果が現れるのに, S. pyriformis の場合は,数日くらいでは何も変化が起こらないのだ。 これに気づかなかったため,効果がないと思い込んでしまい,途中で実験を中止したことが何度もあった。

ゾウリムシなどは,一度新しい培養液に移すと,その中で放っておいても数日で10回程度は分裂するが, この S. pyriformis は,何度も塩溶液を替え,餌を替えるといった手間を1ヵ月以上かけてやっと1回分裂するだけなのだ。
当初は,これらの変化をシャーレの中に S. pyriformis がたくさんいる状態で,細胞数がおおよそ 倍になったところでシャーレ2つに分配して培養を継続する,というかなり大雑把な方法(2倍希釈法)で観察した。 しかし,これだと正確な分裂速度が測れないので,途中から細胞数を数えるようにした。 この場合,ゾウリムシなどでは1つの細胞を新しい培養液に移して,翌日までに増えた細胞数を数えるという やり方で分裂速度を測ることになる。ただし,1回分裂するのに1ヵ月以上かかるとなると,その間,何もせずに放置して おくわけにはいかない。絶えず手入れをしないと水分が蒸発したり,雑菌が増殖したりと環境が悪化してしまい それが細胞分裂を阻害しかねないからだ。
とはいえ,ゾウリムシのように1つの培養器に1匹ずついれたのではあまりに手間がかかりすぎる。 (注:ゾウリムシの場合は,デプレッションスライドの小さな凹みに1匹いれるので,たくさん単離培養することは容易だ。 一方, S. pyriformis の場合は,デプレッションスライドでは駄目で,少なくとも小型シャーレくらいの大きさは必要になる)
そこで,苦肉の策として,1つの培養器(シャーレ)に10匹程度の S. pyriformis を入れることにした。 そして,数日後,塩溶液と餌を新しくするともに培養液の汚れを除去するために シャーレを交換するのだが,その際にマイクロピペットを使って1匹ずつ新しい培養器に移すことで 細胞数を数える,という方式で分裂速度を測ることにした(実験の後半では1つのシャーレから200匹以上を1匹ずつ ピペットで吸って新しいシャーレに移さなければならないので,非常に大変だった)。
#だった,というか,今も様々に条件を変えて,培養実験を繰り返している。

この結果,一部には3(2?)週間程度で1回分裂するものもあったが,それよりも短い期間で分裂するものは 現れなかった。

追記:後述するように,その後行った培養法の改良実験で,養命酒を微量(1リットルの1/50KCMに,養命酒 40μl)加えたところ, 細胞分裂が促進されることが判明した(途中で死亡する細胞も減った)。 この結果,現在までに確認できた最速の分裂速度は,約9日/回となっている。

このように, S. pyriformis は分裂速度が極めて遅いので,培養には長期間を要する。 ゾウリムシのように1週間から10日程度で1匹の細胞から数万匹のコロニーを作るということはできないのである。 同じ程度に細胞を増やすには,すくなくとも半年,場合によっては1年以上を要するのだ。 実際にはその間,増殖に最適な状態をコンスタントに保つのは至難の技なので, 途中で起こるコンタミなどの影響で条件が悪化して分裂速度が落ちたり,最悪,死滅してしまう恐れもある。

▼やっかいな問題:変化(反応)が現れるのが遅い,遅すぎる!▲
そのように,コンディションが悪化した場合,すぐに細胞の状態が変化するなら,それなりに対策がとれるのだが, 分裂速度が極めて遅いのと同様に,環境条件の変化に対応して起こるその他の細胞の変化も極めてゆっくり起こる(場合が多い)。
培養法を改良しようとして条件を変えても,すぐにはその結果が現れないのだ。 このことは,逆に,それまであった培養条件の影響が後々まで続くということでもある。 ある時点で培養条件を変えた場合,その後に起こる変化がかならずしも条件を変えた結果とは限らず, 場合によっては,変化する前の培養条件の影響が残っている可能性もあるのである。
おそらくその影響と思われるのだが,ある条件で10回以上(経過時間は半年ほど)分裂を続けたものが, 次第に弱ってきて絶えてしまいそうになる場面にしばしば遭遇した。 この原因としては,新しい条件は増殖には本当は適さないのだが,前の培養条件の影響が細胞内に残っているため, しばらくは分裂を継続するものの,やがてその影響が消えて途中から新しい条件の影響で弱ってしまったと考えられる (あくまで仮説だが)。
培養法の開発にとっては非常にやっかいである。

▼なぜこんなにも変化が遅いのか?/過酷な貧栄養環境に適応した結果の可能性▲
S. pyriformis はなぜこのような性質を持つのだろうか?
これは,既述した様に S. pyriformis が,極めて貧栄養の環境に適応した結果である可能性が高い。
河川敷など流水環境(河川の導電率は150〜300μS/cm程度ある。 S. pyriformisが生息する池塘は10μS/cmかそれ以下なので,栄養塩類の濃度も10〜20倍程度違うと考えられる)は,増水したり干上がったりと環境条件の変動が激しい。 クラミドモナスなど増殖速度の速い緑色鞭毛虫は,こういった環境で見つかることが多い。 すなわち,急激に,かつ,極端に環境条件が変化するので,増殖に適した環境の時になるといっきに増え, 悪化するとすぐに数を減らすことを繰り返すのである。 分裂速度の速い生物はこういった場所でも生き残れるが,分裂速度が遅い生物だと,このような変化の激しい環境では生き残れない。
一方,極度の貧栄養にある湿原の池塘の多くは,一年を通じて比較的安定した水環境が続く(干からびやすい場所もあるが)。 こういった場所では,すくない栄養でゆっくり増える方が,生き残り戦略としては適している。 分裂速度が速いということは代謝が活発なこと意味するので, 餌がたくさんある環境では有利だが,餌が少ないと飢餓状態に陥いりやすく,死滅する可能性が高い。 S. pyriformis は細胞を大型化させ細胞内にたくさんの栄養を貯え,かつ,代謝を低下させ分裂速度を遅くすることで 過酷な環境で生き延びる戦略をとっているのだろう。
1)競争相手がいない,
2)必要とする栄養がそれほど多くない
(共生藻が行う光合成で足りない栄養を補っている可能性が高い),
3)過酷だが環境条件が比較的安定している,
などの結果,極めて貧栄養の湿原の池塘(田代平,鳥子平,鬼怒沼湿原など) では, 長年月をかけて次第に数を増し,今では水底を埋め尽くすほど大量に増えていると考えられる。

▼ラッパムシ(Stentor)属はキロモナスが好みのようだ▲
本研究では,様々な原生生物をラッパムシの餌として試した結果,無菌培養した キロモナス(Chilomonas paramecium)が S. pyriformis の餌としてもっとも適していた。
このキロモナスを他のラッパムシにも試したところ,他のラッパムシにも向いていることがわかった。 それまでソライロラッパムシ( Stentor coeruleus )は長い間, クロロゴニウム( Chlorogonium capillatum )を餌に培養してきたのだが,キロモナスに変えたとたん, 一時的ではあるが細胞密度が2倍近くに増加した(その分,手を抜いているためか,現在はさほど細胞密度は高くない)。
また, Stentor fuliginosus は,それまでクロロゴニウムでは培養できなかったが, キロモナスに変えたところ,かなりの細胞密度で増えるようになった。
S. fuliginosusについては,もっと詳しく調べたいのだが, S. pyriformis の世話と調査に手一杯で調べる時間と体力がない。
他にも, S. polymorphusS. roeseli (?)も増やすことができている。

もしかしたら,他の異毛類の餌にも使えるかと考えて,これまでに BlepharismaSpirostomum等に試した。 Blepharismaはクロロゴニウムを餌として与えていた時と変わらずによく増えたが, これまでのところSpirostomumはまったく増えていない。
他の繊毛虫では,ミドリゾウリムシ( Paramecium bursaria )もよく増える (中型のアメーバ,マヨレラも同様)。 このため,ミドリゾウリムシは,以前はクロロゴニウムを餌にして培養していたが,現在はキロモナスで培養している。
しかし,同じゾウリムシ属の Paramecium caudatum には適していない。ほとんど増えない( Frontonia marina も同様)。 P. bursariaP. caudatum は,属は同じでも形態・生態的にかなり異なるので, 餌の好みが違っておかしくはないだろう。 ちなみに, P. caudatum は現在,ポリトーマ( Polytoma tetraolare )で培養している。 ポリトーマで培養すると, P. caudatum の細胞質が非常に透明になり,細胞内の変化が観察しやすくなる そうだ(菅井氏,元茨城大)。
また,かつて同じブレファリスマ属でも餌の好みが違っていたことがある(詳しくは覚えていない)ので, P. bursariaP. caudatumほど系統的に離れていれば,好みが異なるのは当然ともいえる。

実験データ (整理中)

さらなる改良はこちら

月井 雄二
(法政大学 自然科学センター)

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