HOME | 研究資料館 | 地域検索 | 採集の記録 | 2015 . 07 . 05 | お知らせ

2015.07.05, Part XIV

厳美渓〜天工橋〜道の駅 厳美渓〜一関市博物館

磐井丘陵を北へ(一関市),13:23
長い下り坂が続く。

竹沢ふれあいセンター近くの交差点を直進(一関市),13:25

厳美公園前を通過(一関市),13:38
2枚目:厳美郵便局臨時出張所に人がいた! ここはこれまでに何度も撮影しているが,人(係員)がいたのを見たのは今回が初めてだ。 往路ではいなかった

天工橋を渡る(一関市),13:39
1,2枚目:橋の袂でパノラマ撮影。
2枚目:橋の右には「御覧場橋」へ向う遊歩道がある。 これまでに何度か歩いた。

天工橋を渡り終えたところでパノラマ撮影(一関市),13:40
1枚目:左前方には「かっこうだんご」の店がある。 2,3枚目:右側にあるのが「ガラスパークサハラ」。この後, 道の駅と市立博物館を訪れた後,復路のバスを待つ間に,中の食堂で遅い昼食をとった(後述)。 予定した復路のバス(15:30)まではまだ2時間弱もあるので, 以前から気になっていた北側にある道の駅と博物館へ行ってみることにした。
ということで,ここを右折。

少し進んでここを左折,北へ(一関市),13:40

道の駅と博物館へ(一関市),13:41-13:42
2枚目:右に交番(一関警察署 厳美駐在所)があった。 やや変わったデザイン。西部劇風だ。

前方を横切るのは国道342号(一関市),13:43

交差点前でパノラマ撮影(一関市),13:43
2,3枚目:交差点の角にあるのが「一関市立博物館」。 その右(東)に「道の駅 厳美渓」がある。

交差点を渡り,右折した後の様子(一関市),13:45
歩道の左にサクラソウが植えてあった。

「一関市立博物館」前を通過(一関市),13:46

テーマ展の案内があった(一関市),13:46
既述したが, 「開業90周年記念 大船渡線 〜ドラゴンレールの謎を解け!〜」とある。 ドラゴンレールというのは,大船渡線の愛称らしい。

「一関市立博物館」の先に「道の駅 厳美渓」がある(一関市),13:47
ここで左折する。

「道の駅 厳美渓」(一関市),13:47

「道の駅 厳美渓」(一関市),13:48
1枚目:「もちと湯の郷」と書かれたモニュメント?
2枚目:「道の駅 厳美渓」の案内。 今いるところは「農村公園」というらしい。 この後訪れた博物館も道の駅の施設として位置付けられている。 案内の裏にあるのが「都市農村交流館」。

道の駅 厳美渓/都市農村交流館(一関市),13:48
1,2枚目:パノラマ撮影。 1枚目:こちらが「おみやげ・民芸品,休憩コーナー」。 2枚目:こちらが「産直野菜・レストラン」。
この後,レストランで食事をしようと思って中へ入ったが,客が大勢いた。 座れる場所がないわけではなかったが,メニューが麺類中心だったのと,待つのが嫌なので止めた。 代わりに,隣接する「産直野菜」のコーナーでラムレーズン入りのアイスを買って,外をブラブラしながら食べた。

次は博物館へ(一関市),14:06
まだ復路のバス(15:30)までは十分時間があるので,隣接する博物館に入ってみることにした。

一関市立博物館へ(一関市),14:07

一関市立博物館へ(一関市),14:07
中に入ってすぐ受付の脇にある書籍コーナーで厳美渓の地質等に関する本がないか探したところ,無かった。 そこで受付けで,地質調査に関係した本がないか尋ねたところ,学芸員らしき人を呼んでくれた。 結果,昭和50年代に教育委員会が出した報告書, 名勝天然記念物「厳美渓」管理計画書(昭和53年度策定),一関市教育委員会,昭和54年3月30日発行,pp.97  があるものの,現存しているのは1部のみなので,販売はできないとのことだった。 しかし,コピーなら可能ということで後日,送ってもらうことになった(有料)。

後日(2015.07.07)届いたコピーを見ると,
II 厳美渓の特性
1 自然
ア 厳美渓の地学的成立 ..... p.6
の中に
(5) 厳美渓の発達史 ..... p.20
 a 磐井丘陵の発達と開析 ..... p.20
 b 五串段丘と厳美渓 ..... p.22
 c 後氷期の厳美渓 ..... p.22
というセクションがある。
「b 五串段丘と厳美渓」には, 「厳美渓の現流路が定まったのは,<中略>ウルム氷期の末期の一時期であったと推定する。」(p.22) とある。
そして,最後の「c 後氷期の厳美渓」には 「磐井川の流路が厳美渓の現流路に固定されたあとの一時期に基準面の安定のためか, 五串段丘を始めとする金ケ崎段丘相当の比較的広い段丘の下位に,現流路ぞいに狭小な段丘が付着したかたちで生成している。」(p.22) と記されている。 そして最後に「おそらく,完新世初頭に,厳美渓の下刻作用が一時停滞し,その後,さらに下刻がすすんだということになる。」(p.23) とある。
完新世初頭というのは,おおよそ現在から1万年前のようだ。 ということは厳美渓の岩石段丘はおよそ1万年前から出来はじめたといえる。 河床との段差が少ない間は,洪水のたびに段丘面が洗い流されてしまうので,原生生物は定着しなかっただろうが(注), 下刻がすすむにつれて,徐々に原生生物相が豊かになっていったと推察される。

注: 現在の長者滝橋近くの磐井川 がそれに相当する。 ここは河床との段差が少ないので,段丘面上の水たまりには原生生物がほとんどいない。

一関市立博物館を出て厳美渓へ戻る(一関市),14:47
展示を見た後,外へ出たところで撮影。 前方の交差点を左折する。

Part XV: 厳美渓〜一ノ関駅
2015.07.05, 14:48 - 16:38