途中にある笹薮が刈り払われた場所(多々石林道旧道,南会津町),12:34
1枚目:昨年(下段1枚目)よりさらに刈り払われた面積が増えている。
昨年(2013.10.20)我々が訪れた後,誰かがここから対岸にある黒岩湿原を訪れたのだろうか?
下へ降りた後,対岸の斜面にも笹が刈り払われたように見える場所があった。
もしかすると,そこを上がっていくのかも知れない。
しかし,ここからだと黒岩湿原の南西側の尾根に出るので,そこからは黒岩湿原まで尾根筋を降りなければならない。
後述するように,この後,我々は別のルートから黒岩湿原に到達できたのだが,
そこには南西側の尾根から下ってくるルートらしき場所は見当たらなかった(見つけられなかっただけかも知れないが)。
よって,現時点では,ここを降りて黒岩湿原まで到達できるかは不明。
2枚目:iPad mini で現在地を確認。
昨年と同じ場所のはずだが,GPSが示す現在地が昨年(下段2枚目)とややずれている。
2013年10月の様子(2013.10.20,13:19-13:20撮影)。
昨年,路肩が崩れていた場所まで来た(多々石林道,南会津町),12:37
地図をみるかぎり,ここからが黒岩湿原までの距離がもっとも短い。
ただし,ここは路肩が大きく崩れていて,かなりの急傾斜になっている(注)。
前回(2013.10.20)は,激しく雨が降っていたこともあり,ここを降りるのを断念。引き返した。
しかし,今回は快晴だし,ここしばらく雨は降っていないので,沢の水量は多くないはずだ(水音は聞こえていたが)。
後になって気づいたのだが,
先月(2014.09.03),
大館市にある田代岳9合目湿原を訪れた際にも,
降り口となった大広手コースの終点近くでも同じ現象に遭遇していた。
沢沿いの登山道が縦に割れて,片側が沢に崩れかけていたのだ(下々段)。
田代岳の時は崩落は途中で止っていたし,沢との段差も数mしかないので,さほど危険は感じなかった。
しかし,ここ(多々石林道)の場合は,ほぼ完全に崩落している。
また,沢との段差は10m以上あり,崩落の結果,1m以上垂直に削れ落ちている場所もあった。
さらにいうと,
今年の06月(2014.06.21)
に訪れた栗駒山では,目指した硫黄ケ原近くを流れる三途の川の手前で,
登山道が縦に割れつつある場所があった(下々々段)。
栗駒山は地滑りの多い場所なので,もしかすると,そこも数年か十数年後には,割れ目が広がってクレバスとなり,
やがては崩落するのかも知れない。
長い斜面になっている場所なので,崩落が起きれば,斜面の下まで崩れ落ちる,いわゆる,地滑りとなるだろう。
注:2008年にこの多々石林道をバイクで通った人のwebpageを見ると,この辺には道際のあちこちに
クレバス(路面と右の笹薮の間が裂けていた)ができていた。
おそらく,そのクレバスが次第に広がって,最近になって右の沢(戸板川)に向って崩落したのだろう。
2013年10月の様子(2013.10.20,12:45撮影)。
2014年09月の様子(2014.09.03,14:39撮影)。
大館市で遭遇した登山道の崩落場所。
2014年06月の様子(2014.06.21,11:50撮影)。
栗駒山 三途の川手前の登山道の様子。
路肩が崩れていた場所を降りることにした(南会津町),12:38
崩壊地の右端に降りられそうな場所があったので,そこから降りてみることにした。
ただし,道近くには1m以上の垂直な段差があり,降りるのはなんとかなるが,上がるのはかなり難しいようだった(注1)。
また,その先の斜面も浮き石がたくさんあり,かなり崩れやすかった(注2)。
そのため,途中から先行する栄三郎氏が完全に降りきって安全な場所に移動してから,
私が降りることにした。
注1:同伴した栄三郎氏は,復路もここを通り,道近くの段差部分はジャンプして多々石林道に上がったが,
私にはとても無理なので,崩壊地の脇の斜面を薮漕ぎしながら上がった。
注2:実際,私が栄三郎氏の後に続いて降りようとした際,足下の石が,わずかに転がり落ちてしまった。
幸い,栄三郎氏の左側を通ったので彼に当らずに済んだ。
そのため,そこでいったん降りるのを止めて,栄三郎氏が降りきって安全な位置に移動してから降下を再開した。
戸板川を渡る(南会津町),12:46, 12:49
1,2枚目:斜面を降りた先には多々石林道に沿って戸板川が流れている。
川の上にはたくさんの倒木があり,それらの倒木を橋替りにして川を渡った。
戸板川の支流に入る(南会津町),12:49
対岸には,黒岩湿原近くから流れてくる戸板川の支流があった。
この沢を遡上すれば黒岩湿原に到達できるはずだ(注)。
しかし,沢には両側から低く枝を伸ばした木々や,倒木などがあった。
最初はここを遡上できるか不安だったが,なんとか先に進むことができた。
注:以下は,
昨年(2013.10.20),
黒岩湿原を目指して途中で撤退した際の「採集の記録」に付記した文章だが,
参考の為に再掲しておく。
「西丸震哉著,尾瀬,Blue Guidebooks 202,実業之日本社 1975」には,
その後半にある「南会津と奥利根」の部分で黒岩湿原について
「入るための道はないが,水流をたどって行けばかなりらくに進入できる」(p.131)と書かれている。
次ページ(p.132)にはそのルートが示されているが,それを見ると,戸板峠,および,その少し北から黒岩湿原に至るルートが記してある。
戸板川の支流を遡上する(南会津町),12:54, 12:55
戸板川の支流を遡上する(南会津町),12:59, 13:02
戸板川の支流を遡上する(南会津町),13:06
戸板川の支流を遡上する(南会津町),13:07, 13:12
黒岩湿原へ(南会津町),13:17, 13:19, 13:19
黒岩湿原に着いた!!(南会津町),13:23
黒岩湿原,湿原の中心部へ(南会津町),13:23
黒岩湿原,踏跡を辿って湿原の中心部へ(南会津町),13:24
黒岩湿原,湿原の中心部にあるやや細長い池塘(南会津町),13:24
細長い池塘に近付いてパノラマ撮影(南会津町),13:24
黒岩湿原,中央にある細長い池塘(南会津町),13:25
峠のすこし北というのは,近くに炭焼小屋跡があるらしいのだが,
「右側から最初に出てくる小沢をめがけて進入する。炭焼き小屋の跡があり,沢の水流跡が消え,
適当にすこし奥のヤブをこぎ上がると,眼前がパッと開けてすばらしい湿原におどり出す。」とのこと。
炭焼小屋跡が今もあるかは不明。
一方の戸板峠からのルートについては,さきほどの「看板がかかっていたと思われる支柱」付近(推測)から
「峠の右手にゆるく盛りあがる尾根筋へいったんすこし登り,左手へわずかな下りのヤブこぎをやってゆくと,
やがて湿原をさがしあてることができる」(p.132)と書かれている。
ただし,この本は36年前のもので,当然ながら周囲の環境は今とは異なるはず。
とくに樹林の様子はこの36年の間にかなり変化しているだろうから,そのまま参考にする訳にはいかない。
また,「佐藤勉著,懐かしき南会津,楽しき山と里,歴史春秋社,2011」には,
1975.06に撮影した黒岩湿原の写真(白黒)が掲載されている(p.82)。
写真の説明には「戸板峠への林道から薮を漕ぐことしばしで,針葉樹林の中に忽然と姿を現した。」とある。
(2014.05.12追記)。
基本的に長靴より浅い沢だったが,所々,岩の間には,長靴が水没してしまいそうな場所があった。
それらを避けながら滑りやすい沢を上がっていった。
左右から太い枝が伸びているので,それらを何度もくぐりつつ上がった。
長い時間,腰をかがめながら歩いたので,湿原から戻る頃には腰が痛くなった。
あまりに障害物が多いので,
途中で,沢を上がって左の薮を進んだこともあるが,薮がひどくてなかなか前に進めない。
結局,沢登りの方がまだまし,ということで,ふたたび沢に戻って沢を遡上することにした。
1枚目:川底が平坦な場所もあった。
ただし,当然ながら傾斜しているので,注意しないと滑って転倒しそうだ。
木の枝の下をかがみながら上がる。
1,2枚目:パノラマ撮影。
ここで沢が分岐している。右へ進んだ。
1枚目:今回は登山用の杖を持参しなかった。
さほどの標高差を上がる訳ではないので必要ないだろうと思ったためだが,,。
しかし,足場の悪い沢を上がるので何度も転倒しそうになった。
途中から枯木を杖がわりにした。
2枚目:まだまだ続く沢登り。
大きな滝はなかったが,50cm前後の段差のある場所は所々にあった。
1枚目:沢が終わり,笹薮となった。
2枚目:栄三郎氏が戻る際の目印として木の枝に笹の葉を付けた。
3枚目:iPad mini で現在地を確認。
湿原まであとわずかだ。標高差で10mほど。
多々石林道から斜面を降り始めたのが12:38。45分かかってやっと湿原に辿り着いた。
湿原に入って早々。草原の中に踏跡のような場所が続いていた。
ここは滅多に人が入らない場所のはずなのだが・・・。
栄三郎氏は,踏跡の様子をみて,これはヒトではなく獣道ではないかと推察。
これは航空写真にも写っている池塘だ。
他に池塘,ないし,水たまりがないか探したが,見つからなかった。
また,航空写真によれば,ここより100mほど北には,一部樹林帯の中に混在する形でここよりも広い湿原があるはずだ。
私がこの池塘で採集している間に,栄三郎氏が北に向って歩いて行き,北縁の様子を探索したが,
北側の湿原へ到達できそうな通路というか,通り抜けられそうな場所はなかったという。
とすると薮漕ぎをするしかないが,すでにかなり疲労困憊しているので,今からさらに100m(往復200m)以上の
薮漕ぎをする余力はない。今回はあきらめることにした(注)。
注:帰宅してから,さらに航空写真や地図を注意深く調べたところ,
我々が多々石林道を降り沢を遡上したルートとは別に,
北側にも同じような場所(北側の湿原から戸板川に向って流れる支流)があることに気づいた。
北側の湿原に向うには,ここから薮漕ぎをするよりも,その北側の沢を上がった方が早いかも知れない。
他に採集ポイントは無さそうなので,この池塘の周囲でじっくり採集することにした。
1枚目:まずは手前(池塘の西側中央付近)で,
2枚目:
採集(黒岩湿原-01)。
ここの標高は約 1380 mある。決して低くくはないが,
これまで見てきた標高1000m以上にある池塘とはどことなく様子が異なる。
まず池塘の縁がはっきりしない。
この西側付近の縁は結構深く落ち込んでいるが,他はそれほどでもなく,草地と水際の境が明瞭ではない。
共生藻をもつラッパムシがいるのではと期待していたのだが,翌日の観察では見当たらなかった。
それどころか,他の原生生物もかなり少なめだ(注)。
接合藻としては,
ハタヒモ(
Netrium digitus,
N oblongum)
ばかりが目についた。他の接合藻はあまりいない。
泥炭層はそれなりにあるので,それほど新しい湿原ではないと思うのだが・・・。
観察された生物:
渦鞭毛虫の一種,
ミドリムシ(Euglena mutabilis),
小型鞭毛虫数種,
共生藻を持つアンフィトレマ(Amphitrema stenostoma),
共生藻を持つチラキディウム(Thylakidium),
共生藻を持つキルトロフォシス(Cyrtolophosis),
Chlorobotrys,
珪藻各種,
サヤミドロ(Oedogonium),
ミクロスポラ(Microspora),
ヒザオリ(Mougeotia),
ミカヅキモ(
Closterium abruptum,
C. idiosporum),
ハタヒモ(
Netrium digitus v. lamellosum,
N. oblongum),
タテブエモ(Penium polymorphum),
クロオコッカス(Chroococcus turgidus),
ユレモ(Oscillatoria sp.),
ワムシ,
ミジンコ,
ケンミジンコ,
イタチムシ,
注:
ただし,
共生藻を持つチラキディウム(Thylakidium)や,
西吾妻一切経縦走路の途中にある湿原群でよく見られる
共生藻を持つアンフィトレマ(Amphitrema stenostoma),
がいた。
やはりここは高地にある湿原だ。
Part IV:
黒岩湿原〜
2014.10.25, 13:26 - 14:58