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2014.06.21, Part II

真湯大橋〜須川高原バス停〜栗駒山登山口

新祭畤大橋から倒壊した旧祭畤大橋を撮影(一関市),10:01

2013年06月の様子(2013.06.24,10:51撮影)。

磐井川にかかる真湯大橋を渡る(一関市),10:03
この先に真湯野営場があるが,そこを過ぎると急な傾斜が続く山岳道路となる。

途中でいくつかの橋を渡る(一関市),10:08, 10:10, 10:10

「復興之碑」前を通過(一関市),10:13
1枚目:ここはいつも撮影タイミングを逃してしまう。「復興之碑」だけ撮影できた。
2枚目:2013年06月の様子(2013.06.24,11:03撮影)。
3枚目:2012年07月の様子(2012.07.28,11:02撮影)。 中央に湧水があるようだ。
4枚目:2010年08月の様子(2010.08.10,10:03撮影)。 駐車場の端にあるのが「復興之碑」。

まもなく終点(一関市),10:34, 10:36
2枚目:須川高原温泉の建物が見えた。


2013年06月の様子(2013.06.24,11:24-11:25撮影)。
前回はよく晴れていたのだが,,。 2枚目:この時も残雪があった。

須川高原温泉に到着(一関市),10:37
須川高原温泉前の様子は以前と同じだが,右の須川ビジターセンター前の駐車場に 消防署の車が止っていた。なにやらあったようだ。 良く見ると,ビジターセンター前駐車場の入口に赤色のパイロンが4個置かれている。 一般車は進入禁止のようだ。


2013年06月の様子(2013.06.24,11:28撮影)。

須川ビジターセンター前の駐車場の奥にある公衆トイレへ(一関市),10:38
1〜3枚目:ビジターセンター前でパノラマ撮影。 1枚目:駐車場の入口側。消防署の車の周囲に救助隊らしき人が数名。 2枚目:これが須川ビジターセンター。 3枚目:右奥にあるのが公衆トイレ。 画面左,ビジターセンター脇にはパトカーを含め,警察の車が4台停まっている。 なお,ここには写っていないが,トイレの奥に建物あるが,その周辺にも救助隊らしき人々がいた。

駐車場の奥にある公衆トイレ(一関市),10:38, 10:40
2枚目:トイレを出た後,iPad mini のGPSのログ記録をオンにした。

公衆トイレ前から南西側をパノラマ撮影(一関市),10:40
1枚目:道路近くにも赤色の車が停まっていた。 2枚目:さきほどはいなかった赤色の幌付きのトラックもいた。 どうやらまたここで遭難事故が起きたようだ。 これから捜索が始まるのだろう(というかすでに捜索中だったようだ,注)。
この栗駒山周辺では最近,遭難事故が多発しているらしい(この後,登山口にその注意書きがあった)。 3年前(2011.08.20) に須川高原の秋田県側にある 野鳥の森湿原 を訪れた際も,上空をヘリコプターが飛び回っていた。 その時も遭難事故が起きたらしいのだが,詳細不明。

注:帰宅後,次のようなニュースを発見。 「山で遭難3日,78歳生還 捜索打ち切り直前」(朝日新聞デジタル 6月21日19時41分配信)。 秋田県横手警察署の発表によると,東成瀬村の栗駒山に18日早朝からタケノコ採りで入山し,行方がわからなくなっていた男性(78)を 21日正午過ぎ,入山地点から北東約3キロの一関市内の国有林の沢沿いで発見したとのこと。 捜索打ち切り直前だった。」

2013年06月の様子(2013.06.24,11:30撮影)。

前方に見える秣岳(標高 1424m)をやや望遠にして撮影(一関市),10:41

望遠モードを最大にしてパノラマ撮影(一関市),10:41
3枚目:秣岳(標高 1424m)。

須川高原温泉前を通って登山口へ(一関市),10:42
2枚目:道路脇に木材が積んであった。一部腐りかけている。 最初はどこかで木道の更新作業が行われているのかと思ったが,違うようだ。 これまで須川高原温泉前を流れている水路の蓋として使われていた部材のようだ。

須川高原温泉前の水路(一関市),10:42
これまではここに木材が並んでいて蓋がしてあった。 それが今回は無かったので撮影した。 後になって,ここにあった木材がさきほど撮影したものであることに気づいた。 ちなみに下段がかつてあった蓋だ。


2012年07月の様子(2011.10.20,14:35-14:36撮影)。 これは反対側から撮影している。

須川高原温泉脇にある山頂登山口へ(一関市),10:43
2枚目:6年前の岩手・宮城内陸地震(2008.6.14)の後しばらくは真っ白だった右の足湯もすっかり昔の緑色に戻っていた。 ただし,前回まであった水路に足を降ろすための橋が撤去されていた。 これから新設するのかも知れない。


2013年06月の様子(2013.06.24,14:26撮影)。

2012年06月の様子(2012.07.28,14:07撮影)。
注:3ヶ月後(2012.10.07) に訪れた時は,ふたたび白い色が増えていた。

2011年08月の様子(2011.08.20,14:23撮影)。 緑色が回復しつつあるが,一部白い部分も残っていた。

2010年06月の様子(2010.08.10,14:35撮影)。 地震から2年後の様子。足湯の底は真っ白だった。

地震前,2007年06月の様子(2007.06.24,11:45-11:47撮影)。

足湯の様子(一関市),10:43
この緑色は以前調べたところ,皆 イデユコゴメ(Cyanidium) だった。

山頂登山口から階段を上がる(一関市),10:43

2012年10月の様子(2012.10.07,12:13-12:14撮影)。

2011年10月の様子(2011.10.20,11:28撮影)。
岩手・宮城内陸地震(2008.6.14)の後もあった木製通路の脇の朱色に塗られた欄干(下段) が消えていた。2011.3.11の東北大震災の影響によるものだろう。

2010年08月の様子(2010.08.10,14:36撮影)。 この時は朱色に塗られた欄干があった。

2007年06月の様子(2007.06.24,11:47撮影)。 この後,岩手・宮城内陸地震(2008.6.14)が起きた。

階段の手前に立っていた案内(一関市),10:43
「遭難事故多発中!・・・平成26年6月3日 須川山岳遭難対策委員会」と書かれている。これまではなかった。 やはり最近増えているようだ。

Part III: 登山口〜名残ヶ原・賽の硯分岐
2014.06.21, 10:44 - 10:53