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2013.03.03, Part IX

小貝川ふれあい公園〜祝橋/糸繰川水門

小貝川ふれあい公園,右に見えてきたのはネイチャーセンター(下妻市),12:18
3枚目:壁に描かれているのはオオムラサキの幼虫だろう。 この画像ではわからないが,建物を上から見るとオオムラサキの成虫の形をしているらしい。

小貝川ふれあい公園,ネイチャーセンター(下妻市),12:19
正面はオオムラサキの頭をデザインしているようだ。 最初はバッタの頭のように見えたが,よく見ると複眼の間に口吻らしきものがある。 これでチョウということなのだろう。

ネイチャーセンターの向いにも水辺があるのだが,,(下妻市),12:19
堤防をまた昇り降りするのも億劫だし,ここから見るかぎり水際は落ち混んでいて,水底は泥のみのようだ。 原生生物はあまり期待できない。よってここはパス。

小貝川ふれあい公園,花畑と筑波山(下妻市),12:21
1枚目:手前が小貝川ふれあい公園の花畑(フラワーゾーン)。その先に筑波山が見える。 2枚目:筑波山を望遠撮影。 現在位置は筑波山の西南西。そのため,午前中は男体山の左奥に見えていた女体山が,今度は右奥に見えるようになった。 日射しも正面から当るようになったため,山肌がくっきり見えるようになった。 山頂にあるアンテナ群も白く光っている。

小貝川ふれあい公園,南端が迫る(下妻市),12:22
右は公衆トイレ。遠くに見えるのは祝橋。あの橋の先に西からくる糸操川との合流点がある。 公園はその合流点まで続いている。

祝橋が迫る(下妻市),12:22
ここで河川敷に降りて祝橋をくぐることにした。

祝橋をくぐる(下妻市),12:24
左を見ると「ようこそ 花のまち しもつまへ,花畑 沿革」と題した看板があった。その先に筑波山が。 ここも昭和61年8月(台風10号)の洪水を契機にできたようだ。さきほど訪れた母子島遊水地もそうだった。

祝橋をくぐる(下妻市),12:25
2枚目:前方左が糸操川と小貝川の合流点だ。

祝橋の下流側から西〜北をパノラマ撮影(下妻市),12:25
2枚目:前方に見えるのが糸操川水門。 3枚目:前方の坂を上がって祝橋の袂へ上がることにした。

祝橋の袂へ上がって左折,糸操川水門へ(下妻市),12:26

糸操川水門脇の橋を渡る(下妻市),12:27
1枚目:前方が小貝川との合流点。 2枚目:糸操川水門。 3枚目:上流側にも橋がある。

糸操川水門(下妻市),12:27
1枚目:「昭和44年3月竣功」とある。44年前だ。

糸操川水門の先に樋管があった(下妻市),12:28
「金井忠夫著,利根川の歴史,日本図書刊行会,1997」(p.299)によると, 左の糸操川は「弥生時代(2000年前)から承平年間(931〜937)まで」は,鬼怒川の本流だったそうだ。 その頃の鬼怒川(毛野川,古鬼怒川)は糸操川の川筋を通り,この先で小貝川と合流していた。 やがて鬼怒川の河床が上昇したことで,小貝川の流れが堰止められ,合流点から上流の小貝川の周辺は 「鳥羽の淡海」と呼ばれる広大な沼沢地帯になっていた,という。
しかし,さらにその後,承平年間に起きた洪水で現在の下妻市長塚付近から現在の鬼怒川へと流路が変わったことで, 「鳥羽の淡海」だった地帯は不毛の低湿地に変わった,とのこと。

糸操川排水機場とその樋管だった(下妻市),12:28
1枚目:「糸操川排水機場樋管」とある。 2枚目:道路を挟んで上流側にあるのが「糸操川排水機場」。

その先で左に折れる(下妻市),12:28
道沿いにパイロンが並んでいる。 写真撮影しなかったが,この辺は最近の増水で堤防が一部崩れたらしい。その修復工事のようだった。

小貝川右岸沿いを東南東へ(下妻市),12:29
この先の河川敷でも工事が行われているようだ。

樋管があった(下妻市),12:31
3枚目:「下妻川路排水樋管」だった。 その先には「築堤工事」の案内が。 そして,そのさらに先には「この先(500m)堤防天端道路(豊原橋付近まで)の通過できません, 現場案内看板に従い堤防裏道路(市道)をご利用ください」と書かれた看板が立っていた。う〜む。 現場案内看板に従い,とあるのでとにかく通行止めの地点まで進んでみることにした。

Part X: 迂回路〜豊原橋〜柳原球場〜新堀下排水樋管
2013.03.03, 12:31 - 12:50