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2010.05.05, Part II

国道289号〜甲子トンネル〜道の駅しもごう〜

国道289号を北西へ(西郷村,にしごうむら),11:06

国道289号を北西へ(西郷村),11:07-11:08
1枚目:前方で国道290号 那須甲子線が分岐する。

甲子トンネルへ入る(国道289号,西郷村→下郷町),11:14-11:16

国道289号を北西へ(下郷町),11:26
柄沢橋を渡る。

「道の駅しもごう」に到着(下郷町),11:26
1〜4枚目:駐車場の隅から周囲をパノラマ撮影。 4枚目:右奥からやってきた。 3枚目:この後,ここを出て同じ道(国道289号)を下がって少し行ったところで林道に入り観音沼へ向う。

「道の駅しもごう」からの眺め(下郷町),11:26

駐車場の脇にある展望丘(下郷町),11:28-11:29

展望丘から「道の駅しもごう」を撮影(下郷町),11:29

「道の駅しもごう」と背景の雪山(下郷町),11:29

なお,この「道の駅しもごう」にある売店で以下の3冊を購入した。
1)細田・湊田編,奥会津の里 御蔵入三十三観音札所,平成5年刊,350円
2)南山御蔵入騒動記録研究会,天領 南山御蔵入騒動,平成5年刊,800円
3)湊田著,永田三十三観音札所と永田の七不思議,平成22年刊,1000円

何故これらを購入したかというと,この後出てくる観音沼にある嶽観音堂の柱に 「御蔵入?第?十三観音札所,第十三番,南倉沢(?),嶽の堂」と書かれた板があるのだが, これが何を意味するかわからなかったからだ。 それが今回上記の本(冊子?)を読んで 板に書かれているのは, 「御蔵入第三十三観音札所,第十三番,南倉沢(野際),嶽の堂,・・・会」 というところまで判明した。最後の「・・・会」の部分はいまだに不明。
御蔵入というのは,江戸時代,会津田島を中心とした奥会津の村々を指す言葉だった。 当時,奥会津の村々は幕府の直轄地(天領)で,幕府の米蔵に年貢米を納めていたことから御蔵入の名がついたらしい。 その御蔵入領で三十三箇所の観音札所が整備された時期があり,その13番目の札所として嶽観音堂が建てられた模様。
下段の画像は2年前に撮影した嶽観世音堂。 ちなみに私の父の実家は那須山を挟んだ栃木県側(那須塩原市百村新田)にあるのだが, その地方では嶽観世音堂を「野際の観音様」と呼んで,毎年,会津中街道(注)を通って観音堂まで行き, そこで皆で一晩中お参り?というか祈りを捧げたそうだ。
注:この会津中街道というは,今は沼原湿原〜麦飯坂〜三斗小屋〜大峠を通る険しい登山道として知られる場所。 江戸時代,鬼怒川〜田島方面を経由する会津西街道というのが一時,通れなくなった時期があり, その代替として,麦飯坂・大峠を経由する険しい山道を通って江戸と会津の間で人や物(年貢米等)が行き来したらしい(黒磯市誌より)。
父の話では,父の子供の頃までは三斗小屋周辺には人家があり,小学校まであったという。 どうやらそれは,江戸時代に会津中街道として賑わっていた頃の名残りのようだ。

観音沼北岸,嶽観世音堂(岳観世音堂,下郷町南倉沢),2008.11.15,13:54
1枚目:嶽観世音堂を正面から撮影。 2枚目:近付くと,正面には「嶽観世音」と書かれている。 3枚目:柱には「・・・第二?十三観音札所,第十三番,南倉沢(?),嶽の堂」とも書かれているが, 今のところ詳細は不明。

「道の駅しもごう」からの眺め(下郷町),11:29

「道の駅しもごう」からの眺め(下郷町),11:29-11:30

国道289号を離れて観音沼森林公園へ(下郷町),11:59-12:04

Part III: 観音沼森林公園(1)
2010.05.05, 12:08 - 12:36