HOME | 研究資料館 | 地域検索 | 採集の記録 | 2013 . 06 . 01 | お知らせ

2013.06.01, Part XII

谷地近く〜たらたら清水〜みこくぼ沼北側の道路を東へ

元へ戻る,池だった場所の土手へ上がる(山辺町),13:02

未舗装道に戻り,県道17号へ(山辺町),13:03

県道17号 山形白鷹線へ(山辺町),13:06

県道17号 山形白鷹線へ(山辺町),13:08

県道17号 山形白鷹線へ出た(山辺町),13:09
航空写真ではこの西側(左)にも森が切り開かれた場所があり,その奥に水辺があるように見えたので,近付いてみることにした。

県道17号 山形白鷹線をさらに西へ(山辺町),13:10

立入りできそうにない場所だった(山辺町),13:10-13:11
1,2枚目:ここがその入口だが,近くには「立入禁止」の案内があちこちにあった。 3枚目:ひどくピンぼけしてしまったが,航空写真だとこの南に水辺らしい場所があるのだが,,。 諦めた。

立入禁止の場所だった(山辺町),13:11
このように道路際の木には「植木養成地に付き,これより先,立入禁止」と書かれた案内があちこちにあった。

県道17号 山形白鷹線を東へ,途中にある「たらたら清水」に立寄る(山辺町),13:12
水飲み場の脇には幟が立っている。隣には「狐一巡り街道34」の案内も。 幟をよく見ると・・・ 「全国堅城三十選,最上勢 江口光清,上杉勢 直江兼続 前田慶次郎,畑谷城主 江口五兵衛光清, 畑谷城,慶長出羽合戦 激戦の地,山辺町観光協会,畑谷城址愛護会」 と書かれている。 Wikipediaによると,慶長出羽合戦というのは1600年(慶長5年)に起きた戦いで「東の関ヶ原」とも呼ばれているらしい。 1600年9月,畑谷城に立てこもった江口光清以下500名は,直江兼続とその兵2万5000人と戦って玉砕。 落城したという(江口は自害)。

「たらたら清水」にて(山辺町),13:13
ここは「亀の子水」とも呼ばれているらしい。この地区(作谷沢地区)にはこういった湧水が何ケ所かにあるようだ。

県道17号 山形白鷹線を東へ,前方にT字路が見えてきた(山辺町),13:14

ここを左折(山辺町),13:15

2009年05月の様子(2009.05.10,13:17撮影)。

ここから先は「みこくぼ林道」というようだ(山辺町),13:15

みこくぼ林道を北東へ(山辺町),13:15
最初はややきつい上り坂だが,ほどなく下りに変わる。

みこくぼ林道を北東へ(山辺町),13:16
前方から下りとなる。

「東黒森山登山口」脇を通過(山辺町),13:16
1〜3枚目:カメラを左〜前へと振ってパノラマ撮影。 2枚目:道標には「東黒森山登山口,(西線)1.0KM」と書かれている。

「家族広場」の入口前を通過(山辺町),13:17-13:18
4年前は右へ入って中にある「みこくぼ沼」を訪れた(下段)。 しかし,沼岸はどこも深く落ち込んでいて原生生物はいそうになかった。 なにより沼岸がかなり高低差のある急斜面で,滑り落ちる危険を感じたので,採集せずに引き上げた。


2009年05月の様子(2009.05.10,13:28撮影)。

みこくぼ林道を北東へ(山辺町),13:18

みこくぼ林道を北東へ(山辺町),13:19

みこくぼ林道を北東へ(山辺町),13:19
ここでも至る所から エゾハルゼミTerpnosia nigricosta,セミ科 ハルゼミ属) の鳴き声がした。

        ←エゾハルゼミの鳴き声

みこくぼ林道を北東へ(山辺町),13:20

Part XIII: みこくぼ沼〜東黒森山の東を北へ〜樋口沼
2013.06.01, 13:21 - 13:36