HOME | 研究資料館 | 地域検索 | 採集の記録 | 2013 . 04 . 13 | お知らせ

2013.04.13, Part XI

一関遊水地周囲堤を南へ(〜平泉陸閘〜山ノ目駅脇)

一関遊水地(第1遊水地)の周囲堤を南へ(平泉町),14:15

この辺から平泉バイパスが堤防から離れていく(平泉町),14:16

前方に見えてきたのは?(平泉町),14:16
最初に見た時は樋管・樋門かと思ったが,そうではなかった。 下を通っているのは川(水路)ではなく道路だ。

これは「平泉陸閘」だった(平泉町),14:17
陸閘(りっこう,りくこう)という言葉は今回初めて目にした(注)。
この後,遊水地の南端近く,東北新幹線の高架近くにも陸閘(中里陸閘)があった。 しかし,他はすべて堤防を乗り越える形で一般道と交差していた。 この違いは何によるのだろう?何故,ここと中里地区だけを陸閘にしたのか,しなければならなかったのか? 大型車などを通すため?

注: この用語を知って思い出したのは,これまで何度か通っている荒川サイクリングロードの途中にある 「さくら堤公園」のトンネルだ。 そこでは道路が荒川の旧堤防(さくら堤)の下を通っているのだが,とあるテレビ番組でトンネルの近くにコンクリートに縦溝があり, 洪水時にはそこに板を差し込んで水の浸入を食い止めるという説明があった。 ということはそこも形としては「陸閘」ということになるのではと気付いた。
ただし,現在の荒川の堤防はより内側(旧荒川沿い)に移設してある。 そのため,さくら堤の「陸閘」は実質的には機能していないと思われる。

平泉陸閘の向かい側の様子(平泉町),14:17
2枚目:前方右に見えるのは国道4号 平泉バイパスが堤内排水路と東北本線の線路を越えるための「平泉南こ線橋」(MapFan+の地図にある表記)。 「こ線橋」というのは「跨線橋」(こせんきょう)のことのようだ。 東北本線の線路をまたぐので,この名前になった模様。
3枚目:iPad mini で現在地を確認。

一関遊水地(第1遊水地)の周囲堤上(堤防天端道路)を南へ(平泉町),14:18

最初の交差点を通過(平泉町),14:19
ここで堤防を越える一般道と交差する。そのため,交差点の前後に車止めがある。

一関遊水地(第1遊水地)の周囲堤上(堤防天端道路)を南へ(平泉町),14:19

2つ目の交差点を通過(平泉町),14:21
1枚目:遠くに東北新幹線の高架が見える。画面左には鉄橋が見えるが,あそこで北上川を横断しているはず。 その先で観音山(標高 324.6m)に開けたトンネル(一関トンネル)に入る。

水田地帯を望遠撮影(平泉町),14:21
広い水田ではあちこちで機械が作業をしていた。まだ水は入っていないので「田起こし」作業?

途中 1km ごとに立っていた案内(平泉町),14:21
「周囲堤 No.29,あいぽーとまで 約 6 km」とある。 この時は「あいぽーと」が何なのかわからなかったが,後で遊水地の南端にある「遊水地記念緑地公園」内にある施設であることが判明。 詳しくは「国土交通省一関防災センター,北上川学習交流館 あいぽーと」というようだ。

3つ目の交差点を通過(平泉町),14:22

右にヘリポートがあった(平泉町),14:23-14:24
2枚目:iPad mini で現在地を確認。

4つ目の交差点を通過(平泉町),14:25
2枚目:交差点の先にある案内板。 「周囲堤 No.24,あいぽーとまで 約 5 km」とある。 さきほどは「周囲堤 No.29,あいぽーとまで 約 6 km」だったので,1 km 進む間にNo.が5つ減ったことになる。 No.25, 26, 27, 28はどこにあったのだろう?何が目印?

5つ目の交差点が迫る(平泉町),14:26

5つ目の交差点を通過(平泉町),14:27

5つ目の交差点を過ぎたところで遊水地をパノラマ撮影(平泉町 → 一関市),14:27
2枚目:前方に雲の影がある。今日は綿雲がたくさんあり,日射しがあったりなかったりと変化が激しい。 日射しが翳るととたんに冷え冷えする。

6つ目の交差点を通過(一関市),14:29
右前方に山ノ目駅のホームが見える。

「周囲堤 No.19,あいぽーとまで 約 4 km」を通過(一関市),14:29
1km進むごとにNo.が5つずつ減っていく。

山ノ目駅の脇を通過中(一関市),14:30

Part XII: 一関遊水地周囲堤を南へ(〜ビオトープ施設 メダカ池〜中里橋)
2013.04.13, 14:31 - 14:43