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2013.08.21, Part V

六十里越街道を北へ,湯殿山碑〜1本橋(梵字川)〜寺跡〜

「六十里越街道」を北へ,沢を越えて少し上がるとその先に広場があった(鶴岡市),12:46
2枚目:iPad mini で現在地を確認。 現在地がまだ梵字川の手前にある。おかしい。 この時はまださきほどの沢を「梵字川」と思い込んでいたので,またGPSの測位が狂ったかと思った。 しかし,GPSの測位は正確だった。。。

六十里越街道の右にある広場(鶴岡市),12:46
1〜3枚目:パノラマ撮影。 1枚目:こちらが進行方向。 2,3枚目:右奥に広場があり,なにやら石碑らしきものがある。広場に入ってみることにした。

これは「湯殿山碑」(鶴岡市),12:46

「湯殿山碑」(鶴岡市),12:47
石碑の前にある案内板。この石碑は明治14年(1881)に建立された,とある。

「湯殿山碑」(鶴岡市),12:47
1枚目:大きな「湯殿山碑」の奥にも小さな石碑があった。 2枚目:これにも「湯殿山」と彫られている。詳細不明。 3枚目:大きな葉を広げた ヤグルマソウRodgersia podophylla)?

「湯殿山碑」(鶴岡市),12:47-12:48
小さな石碑側から広場を撮影。

「六十里越街道」を北へ,その先に「一本橋」があった(鶴岡市),12:48
ほどなくザーザーという沢音が聞こえるようになり,梵字川にかかる本物の「一本橋」が現れた。

梵字川にかかる本物の「一本橋」(鶴岡市),12:48-12:49
橋は2本の鉄骨でできていた。片側に頑丈そうな鎖で出来た手摺がある。 おそらくかつては本当に1本の木で出来てた「一本橋」だったのだろう。 近年になってこのような頑丈なものに造り替えられたと思われる(注)。

注: 伊藤孝博著,六十里越街道,無明舎,p.74,2008 によると今の橋は「平成15年に旧朝日村により架けられたH綱」とある。10年前だ。

「六十里越街道」を北へ,鎖にすがりつつ鉄骨橋を渡る(鶴岡市),12:49

「一本橋」の先で右に折れる(鶴岡市),12:49

ここにもロープ付きの坂が(鶴岡市),12:50
ロープを片手に持って坂を上がった。

平坦な場所へ出た,ここは「寺跡」(鶴岡市),12:50-12:51
案内(2枚目)には(この先の道沿いには)「倒伏した石塔が散在している」と書かれているが,その通りだった。

「六十里越街道」の標柱を右に見つつ進む(鶴岡市),12:51

「六十里越街道」を北へ,ゆるい坂を上がる(鶴岡市),12:51

「六十里越街道」を北へ(鶴岡市),12:52
1,2枚目:パノラマ撮影。 さきほどの「寺跡」にあった案内通り,道の左側にはいくつもの石塔があった。多くは転倒している。 3枚目:iPad mini で現在地を確認。 現在の標高はおよそ800m。

道が平坦になるとぬかるみ始めた(鶴岡市),12:54
1枚目:所々に短い木道があった。 2枚目:木道と木道の間もかなりぬかるんでいた。

「六十里越街道」を北へ(鶴岡市),12:54-12:55
1枚目:前方に長く続く木道が現れた。 2枚目:ここにも「六十里越街道」の標柱がある。 3枚目:iPad mini で現在地を確認。 もう少し先にT字路がある。そこを右折すると近くに池を伴った湿原(または湿地)があるらしい。 そこへ向う。

「六十里越街道」を北へ,かなり古そうな木道を歩く(鶴岡市),12:56

Part VI: 笹小屋跡〜湯殿山信仰碑跡〜とうふ道〜名称不明の湿地
2013.08.21, 12:56 - 13:06