小貝川右岸沿いを南東へ(筑西市),11:16
大谷川の合流点を過ぎると,前方に何やら見えてきた。
あれは小貝川水管橋。
小貝川右岸沿いを南東へ(筑西市),11:17
土盛りの手前に標識があった。
「件名 霞ヶ浦用水,施設名称 小貝川注水施設,・・・,目的 工業用水及び水力発電,・・・,
占用者名 水資源機構」とある。
最初は何のことかわからなかったが,後で調べてわかったのは・・・
この「小貝川水管橋」は霞ヶ浦用水(注)の一部で,本来の目的は霞ヶ浦の水を筑波山の南麓まで汲み上げ,
そこから西へパイプラインで流下させて茨城県南西部の17市町に農業用水,水道用水,及び,工業用水を供給するためのものらしい。
しかし,このご時勢で,パイプラインを通る水の一部を小貝川に注水しているのを利用して「小水力発電」を行うようになったそうだ。
注:金井忠夫著,利根川の歴史(日本図書刊行会,1997)によると,
霞ヶ浦用水事業は昭和55年(1980)から水資源開発公団(現在は,水資源機構),農林水産省,茨城県等の連携で進められているもので,
土浦入北岸の霞ヶ浦揚水機場(旧霞ヶ浦町,現在は かすみがうら市)から19.40立方m/secを取水して,
茨城県南西部で農業用水,上水道用水,工業用水として利用するのが目的だそうだ。
土浦入北岸から旧新治村(つくば市)まで送水した後,
筑波山の南麓を「筑波トンネル」で南椎尾調整池(つくし湖,旧真壁町,現在は 桜川市)に導き,
そこからは管水路で東山田調整池(きらめき湖,旧三和町,現在は 古河市)まで送るのが基幹線(1993竣工)。
その途中であちこちに分枝させる工事が今も進行中らしい。
なお,霞ヶ浦用水の他に「霞ヶ浦導水路」(那珂導水路=第1導水路&利根導水路=第2導水路)というのもあるようだ。
小貝川水管橋と発電機室(筑西市),11:17
1枚目:上記のように,霞ヶ浦から筑波山の山麓まで汲み上げた水は上のパイプラインを通って西へと流れていく。
2枚目:パイプラインはここで地下にもぐる。その一部が小貝川へ注水されるが,その際,右にある建物(発電機室)で発電する,
らしい。
小貝川水管橋を過ぎてから振り返ってパノラマ撮影(筑西市),11:18
黒子橋を過ぎたところで周囲をパノラマ撮影(筑西市),11:19
1枚目:黒子橋。
2枚目:なにやら建物がある。おそらく水位観測所だろう。
「小貝川黒子水位流量観測所」だった(筑西市),11:19-11:20
その先で筑波山を撮影(筑西市),11:20
2枚目:少し望遠で撮影。
3枚目:望遠モードを最大にして撮影。
筑波山の南西に移動してきたので,女体山がだいぶ後方に写るようになった。
また,昼が近付いて太陽の位置が南に移動したことで,これまでシルエット状態だった筑波山の山肌が識別できるようになった。
小貝川右岸(筑西市),11:21
この頃,ピ〜ヒョロロという鳴き声が上空から聞こえてきた。
どうやらトビ(トンビ,Milvus migrans)のようだ。
小貝川右岸沿いを南南東〜南へ(筑西市),11:22
この後,徐々に右へカーブして南〜南南西へ向きが変わる。
小貝川右岸沿いを南〜南南東へ(筑西市),11:23
前方で左にカーブしだすと,河川敷が広がりだした。
小貝川右岸沿いを南〜南南西へ(筑西市),11:26
今度は右カーブ。南〜南南西〜南へと向きが変わる。
手袋を外してみたが・・・(筑西市),11:30
この頃は日射しがあり,風も追い風というか北風なので自転車で走っているとほとんど無風状態だった。
そのため,かなり暖かく感じて手袋を外したくなった。の,だが・・・。
小貝川右岸沿いを南〜南南東へ(筑西市→下妻市),11:31
この辺に旧小貝川の流路跡があるはずなのだが,,。
地図と照らし合わせながら進む。
旧小貝川の流路跡へ(下妻市),11:32
どうやらここを右へ降りるようだ。道路沿いに流路跡である沼があるはず。
旧小貝川の流路跡(筑西市鷺島/下妻市),11:34
沼があるにはあったが・・・。あまり原生生物がいそうな雰囲気ではない。
Part VII: | 旧小貝川流路跡〜小貝大橋〜高木排水機場 2013.03.03, 11:35 - 11:55 |