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2011.12.15, Part V

〜川崎橋〜渡良瀬川大橋〜高橋大橋〜矢場川水門

元来た道を辿り渡良瀬川自転車道へ(足利市),12:50

元来た道を辿り渡良瀬川自転車道へ(足利市),12:51

川崎橋の袂まで戻った(足利市),12:59

川崎橋,さきほどの袋川浄化施設を橋の上から眺める(足利市),13:00

2011年03月の様子(2011.03.05,12:03撮影)。

袋川浄化施設を川崎橋の上から眺める(足利市),13:01
橋に一番近い枠の一部に土盛りがしてあった。このまま埋め立てしまうのだろうか? ネットで調べてみたが,袋川浄化施設が今後どうなるかについて記述した資料は見つからなかった。

川崎橋の袂を右折,河川敷に敷設されたサイクリングロードへ(足利市),13:02

河川敷を降りて渡良瀬川自転車道へ入る(足利市),13:03

渡良瀬川自転車道へ入り,川崎橋の下を通過(足利市),13:03

しばらく進んでから右の階段を上がった(足利市),13:04
これまでは前方でV字に折れて坂を上がったが,面倒なので自転車を押して階段を上がることにした。

上がったところで周囲を撮影(足利市),13:05
1,2枚目:後方に見える川崎橋を撮影。 3枚目:進行方向。

渡良瀬川自転車道,渡良瀬川右岸沿いを東〜南東へ(足利市),13:07
2枚目:2011年03月の様子(2011.03.05,12:11撮影)。

渡良瀬川自転車道,遠くに見えるのは西部クリーンセンター(足利市),13:08

渡良瀬川の一部に広い河川敷があった(足利市),13:12

渡良瀬川の一部に広い河川敷があった(足利市),13:12-13:14
1枚目:望遠撮影。 2枚目:少し進んでからGPSで確認。地図にもここが描いてあった。 昔からこうなっていたようだ。

渡良瀬川自転車道,西部クリーンセンターの脇を通過(足利市),13:15

渡良瀬川大橋(国道50号,足利バイパス)の手前で堤防を降りる(足利市),13:16
2枚目:手前にあるのは河川監視カメラ。

ふたたび堤防に上がる(足利市),13:18

左→前→右とカメラを振ってパノラマ撮影(足利市),13:19

2011年03月の様子(2011.03.05,12:22 撮影)。

2010年11月の様子(2010.11.03,12:17-12:18撮影)。

渡良瀬川自転車道,高橋大橋が迫る(足利市),13:22
右に「お気をつけて,とちぎ県」とあるが, 実際の県境(足利市→館林市)はまだだいぶ先,矢場川水門の先。 2枚目:2011年03月の様子(2011.03.05,12:26撮影)。

高橋大橋が迫る(足利市),13:22

高橋大橋の袂を横断したところでパノラマ撮影(足利市),13:24

2011年03月の様子(2011.03.05,12:28-12:29撮影)。

2010年11月の様子(2010.11.03,12:25撮影)。

2010年04月の様子(2010.4.18,13:42-13:43撮影)。

矢場川水門の脇を通過(足利市),13:25
追記(2013.01.12): 前を流れる矢場川は,上流側の流路に沿って群馬県と栃木県の県境が続いている(注)。 現在,矢場川は渡良瀬川の支流になっているが,かつてはこの矢場川が渡良瀬川の本流(幹流)だったそうだ。 それゆえ,矢場川が県境になっている訳だ。
しかし,1562年(永禄5年)の洪水で流路が変わったのを契機に,それを固定する改修工事が1567年(永禄10年)に行われたらしい。 よってこれまで走ってきた渡良瀬川の流路は1567年以後のものということになる (参照:金井忠夫著,利根川の歴史-源流から河口まで,日本図書刊行会,1997)

注:県境は,西にある旧足利競馬場近く(足利市五十部町)付近から西側は渡良瀬川に沿って続いている。 かつての渡良瀬川(1562年以前)は,そこから現在の矢場川の流路を流れていたようだ。

2011年03月の様子(2011.03.05,12:29撮影)。

2010年11月の様子(2010.11.03,12:26撮影)。

2010年04月の様子(2010.4.18,13:43撮影)。

水門の先にある「道路管理区域境界」の案内,ここが県境(足利市→館林市),13:25
1枚目:3月は「足利土木事務所」(2枚目)だったところが,「安足土木事務所」(注)に変更されていた。 2枚目:2011年03月の様子(2011.03.05,12:30撮影)。

注:栃木県のHPには,昨年4月1日に佐野土木事務所と足利土木事務所が統合されて「安足土木事務所」になった,と書かれている。 さきほど袋川水門の手前にあった取水施設や水門近くの水管橋が佐野市の所有になっていたが, どうやらこの辺は昔から二つの市の設備が混在していたのかも知れない。 何故なのだろう?

Part VI: 矢場川水門〜渡良瀬大橋〜東武佐野線〜邑楽頭首工〜
2011.12.15, 13:26 - 13:49