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2011.03.19, Part XV

久伊豆橋〜柴山伏越・常福寺橋

久伊豆橋の袂を通過し,緑のヘルシーロードを北西へ(蓮田市閏戸→駒崎),14:45-14:46

前回の様子(2010.03.12,13:00-13:01撮影)。

前々回の様子(2008.12.7,13:49-50撮影)。

緑のヘルシーロードを北西へ(蓮田市駒崎),14:47-14:48

案内図にしたがい行方橋を渡り,右岸へ移動(蓮田市駒崎),14:48

右岸へ移動中(蓮田市駒崎),14:48
1枚目:橋を渡った先で大きく左へ折れ,北北西から西北西へ向きが変わる。
前々回の画像と比較すると,橋の先にある家にあった大きな木が無くなっているのがわかる。 2枚目:前々回の様子(2008.12.07,13:52撮影)。

緑のヘルシーロードを西北西へ(蓮田市駒崎),14:49-14:50

徒行橋(県道87号 上尾久喜線)の袂を通過(蓮田市駒崎),14:50

前々回の様子(2008.12.07,13:54撮影)。

緑のヘルシーロードを西北西〜北北西へ(蓮田市駒崎),14:51
1枚目:途中にあった堰。 2枚目:太陽光発電パネルもあった。 この辺からゆるやかに右へカーブし,北北西向きに変わる。

案内にしたがい高橋を渡る(蓮田市駒崎→上平野,かみひらの),14:52
右岸沿いからふたたび左岸沿いに変わる。


前々回の様子(2008.12.07,13:56撮影)。

緑のヘルシーロードを北〜北西へ(蓮田市上平野),14:53
1枚目:前方でわずかに左に折れる。 2枚目:前々回の様子(2008.12.07,13:57撮影)。

緑のヘルシーロードを北北西へ(蓮田市上平野),14:53

池田橋の手前で右にカーブし北向きに戻る(蓮田市上平野),14:55

池田橋(県道77号 行田蓮田線)の袂を通過(蓮田市上平野),14:55

袂を通過した後,左にカーブし,北向きから北西向きに変わる(蓮田市上平野),14:56

北浦地橋の袂を通過(蓮田市上平野),14:57
2枚目:通過した後,ゆるく右にカーブ。北西向きに変わる。


前々回の様子(2008.12.07,14:00-14:01撮影)。

折戸橋の袂を通過(蓮田市上平野),14:58

緑のヘルシーロードを北西〜北へ(蓮田市上平野),14:59
ゆるやかに右へカーブし,ほぼ北向きとなる。

柴山伏越の脇を通過し元荒川の川岸へ出て左折(蓮田市上平野),15:00
既述したが,かつてここで見沼代用水路は,元荒川の上に渡された掛樋井(または掛樋)を通って流れていたらしい。 しかし,「金井忠夫著,利根川の歴史-源流から河口まで,日本図書刊行会,1997」によると, 「元荒川の流れを妨害した」ため,1760年(宝暦10年)に伏越に改造された,そうだ。
江戸時代だからすべて木材で造ったのだろうが,川の下を流れるトンネルを木を使ってどうやって造ったのか, なんとも不思議というか,想像しがたい(2013.01.12追記)。


前回の様子(2010.03.12,13:14撮影)。

前々回の様子(2008.12.07,14:04-14:05撮影)。 3枚目は「柴山伏越見学コース案内」。

元荒川に架かる常福寺橋へ(蓮田市上平野),15:01

橋名の確認,「じょうふくじはし」(蓮田市上平野),15:01

常福寺橋を渡る(蓮田市高虫),15:01-15:02
さきほど通った瓦葺伏越では,綾瀬川に架かる立合橋の脇に「瓦葺掛樋」の遺構があった。 瓦葺の掛樋(または,掛樋井)が廃止されたのは比較的最近(1961)なので,現在も遺構が残っているのだろう。 ここに「柴山掛樋」があったのは200年以上前(1728〜1760)なので,さすがに遺構は残っていないようだ (2013.01.12追記)。


前々回の様子(2008.12.07,14:06-14:07撮影)。

橋を渡って右折した後,その先で道なりに左へ折れる(蓮田市高虫→白岡町柴山),15:02

宮野橋を渡って対岸のトイレに立寄る(白岡町柴山),15:03

トイレ後に橋名の確認(白岡町柴山),15:05

再び緑のヘルシーロードを北北西へ(白岡町柴山),15:05

前回の様子(2010.03.12,13:18撮影)。

前々回の様子(2008.12.07,13:18撮影)。

Part XVI: 箕輪橋〜柴山橋〜あやめ見本園〜八間堰
2011.03.19, 15:06 - 15:26