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2008.10.19, Part VII

田茂木池〜みゆき野ライン

田茂木池,南東端からの眺め(飯山市),12:54
1〜4枚目:池の南東端に立って西〜北西〜北〜北東をパノラマ撮影。 南岸と東岸はコンクリート製の斜面になっていて原生生物はいそうにない。 しかし,向い側の西岸は浅瀬で岸辺に草もある。 既述したように,池の西側には草地(湿地?)もあるので,ここから南岸沿いに西へ歩いてみることにした。

田茂木池,南縁を西へ(飯山市),12:54
1,2枚目:この金網でできた建造物は・・・。 前にある案内を見ると,どうやら水門が中にあるらしい。いたずらされないように鍵付きの扉と金網で囲ってあるようだ。

田茂木池,南縁を西へ(飯山市),12:55
1枚目:さらに堤の上を西に向かって進むと・・・。 2枚目:溢れた水を外に流すための堰らしき場所の上を通過。

田茂木池,南西端からの眺め(飯山市),12:56-12:57
1〜5枚目:池の南西端に着いたところで,西〜北〜東をパノラマ撮影。
5枚目:ガイドブックによると,この堤の右(南)側の草原が「田茂木池湿原」とされている。 しかし,画像でわかるように,背の高い草(ススキないしカヤ?)で埋め尽くされ遠望できない。 また,あちこちに潅木が進入していて( 上の車道から撮った画像参照), すでにほとんど湿原でなくなりつつあるように見えた。

田茂木池の西側は草原(飯山市),12:57
池の西に広がる草原というか湿地?残念ながらこれ以上進めそうにない(注)。 ここで引き返す。

注:後日,ガイドブックで確認すると,ここから田茂木池湿原の西縁に沿って南へ向かう道が描いてあった。 画像には,手前の四角いコンクリート枠と奥の背の高い草原の間に背の低い草で覆われた場所が写っている。 おそらくあそこがガイドブックにある南へ向かう遊歩道?なのだろう。 しかし,ここから見ただけでも,どこまで先に進めるやら・・・。 途中で薮の中に道が消えてしまう可能性大。

田茂木池,南西端(飯山市),12:59
堤から池に突き出した茂みに赤く色付いた葉があった(さきほど見たのと同じ?)。 これは??)。

田茂木池(飯山市),13:00-13:01
その茂みの脇で池端へ降りて採集(田茂木池)。 池底に糸状藻類が繁茂しているが, 翌日の観察の結果,これはアオミドロであることが判明。 原生生物相は予想通り貧弱。
観察された生物: ハルテリア(Halteria), 小型繊毛虫, 珪藻少々, グロエオキスティス(Gloeocystis sp.)?, アオミドロ(Spirogyra), ツヅミモ( Cosmarium binumC. decoratum), ワムシ,

田茂木池,南東端へ戻る(飯山市),13:03

田茂木池,南東端から県道へ出る(飯山市),13:03
県道95号は田茂木池に沿って東〜南へとカーブしている。 そのため,南東端からも県道95号へ出られる。

ふたたび県道95号 上越飯山線を下る(飯山市),13:03
南南西に向かって坂を下る。

県道95号 上越飯山線を下る(飯山市),13:05
ほどなく左へカーブ。この後,左右に小カーブを繰返しつつ,大きく左(北東)に向きを変える。

県道95号 上越飯山線を下る(飯山市),13:08
左手(南東)に温井地区の田畑と住宅が見えてきた。あの辺の標高は約 540m。 現在いる地点の標高は約570m。まもなく平地となる。

県道95号 上越飯山線を下る,水田地帯へ入る(飯山市),13:09
1〜3枚目:水田地帯へ降りてきたところで北〜東〜南をパノラマ撮影。

県道95号 上越飯山線を下る,峠から10 km地点を通過(飯山市),13:10-13:11
1,2枚目:三叉路を左へ。 2枚目:角に立つ案内板。 「日本海の見える大パノラマ」,「→ 10 km,光ヶ原高原」。 これで関田峠から約10kmほど下ってきたことを知る。

県道95号 上越飯山線を下る,ここは直進(飯山市),13:12

前方を左折してみゆき野ラインへ入る(飯山市),13:13
2番目のT字路が現れた。角に色々な看板が立っている。 ちなみにここの標高は約510m。 これからみゆき野ラインを北東へ進むが,みゆき野ラインは多少のアップダウンはあるが標高はほぼ同じ。 500〜510m前後。ここから先はペダルを漕がないと進まないが,ほぼ水平なので走るのは楽。

ここで左折,みゆき野ライン(なべくら五橋)へ(飯山市),13:13-13:14
1,2枚目:T字路の手前でパノラマ撮影。 3枚目:角に立つ案内板。 実をいうとこの案内板で,ここから先の道路が「みゆき野ライン」ということを知った。 地図等には名前がない。 後でわかるが,この「みゆき野ライン」は完成して15年くらい経っているはず。

みゆき野ラインを北東へ(飯山市),13:14
1,2枚目:左折した直後の様子。最初はやや左にカーブするが,この後,長い直線道路が続く。 角に立つ石碑(1枚目)には, 「県営温井地区圃場整備事業,記念碑,長野県知事 吉村午良書」とある。 吉村午良氏の在職期間は1980-2000だそうなので,この間に書かれたことになるが,,。 上述のように,みゆき野ラインは平成5年(1993)かそれ以降に完成したようなので,おそらくその頃書かれたものと思われる。 なお,吉村氏は昨年(2007)永眠。

Part VIII: みゆき野ライン(〜なべくら大橋〜羽広大橋〜)
2008.10.19, 13:14 - 13:29