日本動物学会第70回大会(山形) 関連集会 インターネット懇談会 1999.9.26 17:00-19:00
学術情報をネット上で公開することによって何が変わったか,
ネット上で学術情報の公開を続けて行く上での問題点
月井雄二(法政大)
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2.何が変わったか? 

 では,データベースをネット上で公開した結果,いったい何が変わったのだろうか?これについて,研究者個人および社会に起きた変化と,科学のシステムそのものに起きた変化という2つの面から考えてみたい。

2-1. 研究者個人と社会の変化

自分はどう変わったか?

 何より大きな変化は,データベースを構築した自分自身にある。それまでは,原生生物の分類に関する知識はほとんどなかったが,データベースを構築する過程で必要に迫られて分類学の教科書を読み,そこにある情報をデータベースに取り込む作業を行った。その結果,既述したように1100種を超える原生生物に関する知識をある程度のレベルで身につけることができた。これは進化に関心のある演者(月井)には非常に役立っている。そして,それらの自分が学んだ知識を WebPage化して公開することで,自分の学習成果が多少なりとも他の人々の役立つのであれば,一石二鳥といえる。
 また,自分が制作した情報(画像や文章)を,自由にかつ無制限に,多くの人に知ってもらえるという喜びも味わえた。従来,研究成果の発表の場は,学術論文などに限られており,そこで公開できる情報量にも制限があった。そして,ほとんどの場合,情報の利用者は同じ専門の研究者であり,一般への情報提供は,科学ジャーナリズムを介する以外になかった(しかも研究者であれば誰もが自由にできるというわけでもない)。一方,ネット上では,やろうと思えば,誰もが自由に自分の表現したいことを一般の人に伝えられるのである。これは大きな変化といえる。

社会はどう変わったか?

 上記のような変化は,公開された情報を利用する側の一般社会にも,様々な変化をもたらしている。一番大きな変化は,それまでは専門書でしか知ることができなかった原生生物に関する知識に容易にアクセスできるようになった,ということだろう。そして,その結果として利用者側と様々な交流が起きた。すなわち,画像の利用願い(非営利,営利),他のWebPageへのリンク許可願い,株の配布願い,研究の相談,原生生物に関する一般的質問などである。既述したように,利用者側からの画像の提供や分類学的記載の追加や修正要求もあった。

データベース利用の詳細

 また,我々は原生生物データべースの内容を CD-ROM化して一般に無償配布する活動も行っている。その目的は,「データべースの永続性」を確保するためである。後述するように,学術情報には本来,永続性が不可欠だが,現在ネット上で公開される学術情報については,それらを永続的に保存する公的機関がない。そこで暫定的にCD-ROM化することでデータべースに永続性を持たせることを狙ったのである。

 この配布活動では配布希望者の所属と利用目的を申告してもらったため,データべースの利用実態をより詳細に把握することができた。昨年8月に作成したCD-ROMver.3は,すでに600人弱に6600枚余を配布している(表1)。配布を希望した人の半数は研究者だが,配布した枚数では教育関係者が全体の6割以上(4210枚)を占める。これは,小中高校の場合は,県や市など地区ごとに教育研修会などの集まりがあり,そこで一括配布してもらったことによる。小中高校ではネットワークの普及は十分ではなく,仮に利用できたとしても授業で画像を中心としたデータベースにアクセスするのは通信速度の面から難しい。そこで,手近で利用できるCD-ROMが歓迎されたようである。この他,上下水道局や環境関連の会社からの配布依頼も目だっている。

 ただし,学術情報をネット上で公開すればすべてが原生生物の場合と同じように利用されるとはかぎらない。ネット上の学術情報がどのように利用されるかは,公開されるデータの内容によって異なるはずである。原生生物の場合,学校教員の利用が多いのは,ゾウリムシやアメーバなどが教材として取り上げられているためであろう。DNA配列の場合は一般の利用はあまり考えられない。また,我々が原生生物とともに公開している日本産アリ類の場合は,教材としては利用されないため,学校教員の利用は少ない。反面,害虫としてアリ対策に苦慮している企業や,アリの生態に興味のある個人や同業者からの問い合わせが多い。

表1 原生生物データベースCD-ROM配布状況
研究者 251人 1552枚  
  (大学 162人;研究所 52人:民間 37人)
教育関係者 162人 4210枚  
  (高校 96人:中学 37人:小学 9人:教育研修所 2人:その他 18人)
業 者 39人 92枚  
その他 61人 560枚  
  (主婦 1人:大学生 25人:高校生 5人:団体職員 19人 ;他)
不 明 86人 215枚  
総 計 599人 6629枚  
(1999.9.21 現在)  


学術情報をネットワーク上で公開する社会的意義

 以上のように,ネット上で学術情報を公開した場合,それに附随して様々な変化が起き,研究者自身がそれに対応する必要が生まれる。しかし,読者の中には,そのような状況を好ましく思わない人もいるだろう。科学者は,研究をするのが本来の社会的責務であり,一般への情報提供や関連のサービスは科学者自身がやるべきことではない,という立場である。たしかに,研究以外の作業に時間と労力を費やすのは,極力少なくすべきかも知れない。それは研究競争の激しい分野ほど切実だろう。

 とはいえ,研究には資金が必要であり,その資金を得るために,研究者は様々な努力を行っているのも事実である。その努力とは,科学者社会内部でより高い評価を受けるための自己PRであり,資金の直接の供給源となる行政機関に対して行う予算申請の中での自己PRである。このような努力が正当化されるのは,研究者社会内部での評価が行政に受け入れられ,それに基づいて予算配分が行われるためである。

 しかし,その予算の大元の供給源は税金である。その意味では,科学者は公的な立場にあるわけだが,近年,公的機関に対しては情報公開を行うとともに,その説明責任を果たすことが求められている。それは科学者も同様であろう。科学者も社会に向けて情報公開を行ない,自らの説明責任を果たす必要性が高まっているといえる。そのための手段として,ネットワークは最適なのである。

 誰もがアクセスできるネットワーク上で研究成果を公開し多くの人に利用してもらえば,研究資金の提供者である納税者(=社会)に対して利益還元を行っていることにもなる。また,情報公開の結果として,自らの研究分野に興味を持つ人々が増えることが期待されるが,これは「科学のサポーター」を増やし,「科学の裾野」を育てることにもつながるはずである。


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