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2012.02.10, Part XV

コスモスアリーナふきあげ〜荒川水管橋〜大芦橋〜荒川パノラマ公園〜

荒川左岸堤防天端道路(荒川花街道)を北西へ(鴻巣市),15:34, 15:36, 15:38
「コスモスアリーナふきあげ」が迫る。 1枚目:各画像の左端に写っているのは荒川水管橋だ。

「コスモスアリーナふきあげ」の脇を通過中(鴻巣市),15:39
2枚目:右前方の建物が「コスモスアリーナふきあげ」。 2階建ての建物内には弓道場,柔道場など様々な屋内運動施設がある。 1階には「鴻巣市吹上勤労青少年ホーム」も併設されているらしい。 3枚目:その手前は「鴻巣市吹上総合運動場」。

荒川水管橋が迫る(鴻巣市),15:42

荒川水管橋をくぐる(鴻巣市),15:43
川幅(堤防間)が日本一広い川(さきほど下を通った御成橋 滝馬室付近, 2537m)にかかる水管橋だから当然かも知れないが, 水管橋として日本一長いらしい。全長1100m(昭和59年完成)。
1枚目:水管橋の左(南)側に見えるのはパークゴルフ場。右(北)側は総合グラウンド。

橋名等の確認(鴻巣市),15:43-15:44
1枚目:堤防の外,橋脚の周囲にあるフェンスにある案内。「名称及び種類 荒川水管橋」とある。 2枚目:河川敷側の橋脚に銘板が。「荒川水管橋,埼玉県企業局」「竣工年月日 昭和59年5月31日」 昭和59年=1984年,28年前だ。

次に見えてきたのは大芦橋(埼玉県道66号 行田東松山線)(鴻巣市),15:44

大芦橋の袂をくぐる(鴻巣市),15:45
1枚目:さきほどの糠田橋同様,ここもいったん堤防を降りて,大芦橋下のトンネルを通って・・・。 2枚目:ふたたび堤防へ上がる。

堤防に上がったところで南東〜南西をパノラマ撮影(鴻巣市),15:45
1枚目:やや無理な姿勢で撮ったせいで画像が傾いてしまった。残念。今通ってきたトンネルが見える。 2枚目:大芦橋(埼玉県道66号 行田東松山線)。対岸は熊谷市(旧大里町)。 対岸の橋の袂には鏡ケ淵親水公園?(注)がある。 そこは荒川サイクリングロードの通過点なので何度か訪れたことがある。

注:地図には「親水公園」と書いてあるだけで固有名詞が記していない。 現地にも公園の名前が見当たらない。なので,この「鏡ケ淵親水公園」が正式名称か否かは不明。

荒川左岸の堤防天端道路を北西へ(鴻巣市),15:46
鴻巣市のHPによると「荒川花街道」はここまでだが,サイクリングロードはまだまだ続く。

荒川左岸の堤防天端道路を北西〜北北西へ(鴻巣市),15:46-15:47
1枚目:ほどなくゆるやかに右へカーブしていく。 2枚目:カーブが終わる頃に右手に何やら見えてきた。 あそこは「荒川パノラマ公園」。

荒川パノラマ公園の脇を通過中(鴻巣市),15:47-15:48
2枚目:右の建物は展望所を兼ねたすべり台(ローラーすべり台)のようだ。

荒川パノラマ公園の脇を通過中(鴻巣市),15:48
1枚目:公園の入口。金網の扉がある。閉まっているが鍵はかかっていない。人が出入りしていた。 2〜4枚目:入口脇に立つ各種案内。

まだまだ続く荒川パノラマ公園(鴻巣市),15:49

まだまだ続く荒川パノラマ公園(鴻巣市),15:50
公園の北側にはペリポートもあった。災害時用だろう。

堤防道は左〜右へとゆるやかに蛇行する(鴻巣市),15:50

「海まで 70.0 Km」の標識を通過(鴻巣市),15:51
「海まで 66.0 Km」の標識を通過したのが15:34だったので,17分で4 km進んだことになる。 約4分で1 km。私としてはやや速めだ。北向きに走っているが,風がほとんどないので走りやすい。 日没(17:17頃)までにはまだ1時間余りあるものの,太陽はだいぶ傾いており,やや焦ってペダルを漕いでいるせいもある。

荒川左岸の堤防天端道路を北へ(鴻巣市),15:52
前方で左にカーブするが,カーブの途中から熊谷市に入る。ただし,堤防の外は相変わらず鴻巣市。 なぜこうなったかは今のところ不明。荒川の旧流路とは関係ないようだ・・・。

左へカーブしだすと右から水路が迫ってくる,元荒川だ(鴻巣市→熊谷市),15:54
この元荒川は,ここより少し下流で吹上駅の駅北口通りを横切って南西方向へ流れていく(注)。 昨年(2011.02.30)は, その駅北口通り(新宿橋)から下流の砂山橋まで,わずかな距離だが元荒川沿いを走ったことがある。 この他,過去には三度ほど元荒川沿いを訪れたことがある (2002.05.26, 2006.02.12, 2006.03.11)。

注:最初は上越新幹線の線路に沿って南西へ向かい, 最後は,埼玉県南部の越谷市と吉川市の境を流れる中川に合流して終わる。 名前のとおり,江戸時代初期までは,この元荒川が荒川の流路だった。 その頃は下流で当時南に向って流れていた利根川(その名残りが現在の 中川, 2008.12.20の画像)と合流していた。 それが1629年に南西を流れていた 和田吉野川(2008.03.23の画像) に付け替えられた。その結果,今のように,下流で入間川と合流するようになった。 一方の利根川は,南下するルートを閉ざし,東へ向って流路が変更された(利根東遷)。 最初に渡良瀬川と合流させ,さらに鬼怒川とつないで今に銚子で海に注ぐようになった (話が複雑で今だに十分に理解できていない・・・)。

GPSで現在地を確認(熊谷市),15:54

荒川左岸の堤防天端道路を北西へ(熊谷市),15:56
堤防からJR高崎線が見えるようにもなる。ちょうど下り?電車が通過していた。

通過中の高崎線の電車を望遠撮影(熊谷市),15:57

前方にスーパー堤防のような場所が現れた,ただし距離は短い(熊谷市),15:57

スーパー堤防らしき場所,右に案内板がある(熊谷市),15:58

やはりスーパー堤防だった(熊谷市),15:59
1枚目:GPSで現在地を確認。 2枚目:案内板。 「水防拠点として整備された安全で安心な堤防,荒川スーパー堤防(久下地区)」とある。 距離はわずかなのだが,これでどういった水防の効果が期待できるのだろう? かつてはここで堤防が決壊したらしい。この先にその記念碑がある(次頁)。 それがここにスーパー堤防を整備した理由のようだ。

Part XVI: 決潰の跡〜行田駅
2012.02.10, 16:00 - 16:15