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2008.05.04, Part VIII

赤井谷地(西縁)〜上強清水〜会津藩二十二士の墓

赤井谷地の北を通る道路(注)へ(会津若松市河東町八田),13:41
1,2枚目:少し進むと前方に小さな建物が見えてきた。

注:その道路は二本松街道(より詳しくは,その上街道)というらしい。

強清水簡易水道(強清水水源)脇を通過(会津若松市河東町八田),13:42
水源を管理するための建物だった。「水道」なのでおそらく地下水を汲み上げているのだろう。 これはポンプ小屋?

赤井谷地の北を通る道路へ,始めはさほどでもなかったが・・・(会津若松市河東町八田),13:43
先に進めば進むほど道幅は狭くなり,草で覆われてきた。 ここから見ると前方は行き止まりのようにさえ見えるが,,。 2枚目:道の隣にある草地。四角く区切られていて麦畑のようにも見えるが・・・?それとも耕作放棄地? う〜むこの画像だけではよくわからない。

赤井谷地の北を通る道路へ,次第に道がはっきりしなくなる(会津若松市河東町八田),13:44
この辺は笹で覆われているが,足下を見ると一応,道であることは確認できる。 ので笹をかき分けつつ進む。

赤井谷地の北を通る道路へ,ここで左(西)へ(会津若松市河東町八田),13:44
やや昇り坂になりつつ左へカーブ。

赤井谷地の北を通る道路へ,目印を頼りに進む(会津若松市河東町八田),13:45
この辺には,道端に立つあちこちの枯木にピンクのテープが巻き付けられてあった。 これはおそらく冬期に道が雪で覆われた時の道しるべだろう。 これがあったので,ここは今も人が通っているはずと多少安心しつつ,先へ進む。

赤井谷地の北を通る道路へ,樹林帯に入る(会津若松市河東町八田),13:46-13:48

赤井谷地の北を通る道路へ(会津若松市河東町八田),13:48-13:50
林床には タチツボスミレViola grypoceras), ではなく オオタチツボスミレViola kusanoana)? が。

赤井谷地の北を通る道路へ,農地が現れた(会津若松市河東町八田),13:50
樹林帯を抜けると道の脇が畑になり,坂を下った先に農家らしき建物が見えてきた。

赤井谷地の北を通る道路へ,二叉に分かれていた(会津若松市河東町八田),13:51
少し行くとY字路になっていた。右はその先に農家があり,行き止まりのように見えたので, ひとまず左へ進んでみた。

赤井谷地の北を通る道路へ,斜面を上ってみたが・・・(会津若松市河東町八田),13:52-13:53
しかし,左の道はすぐに急な昇り坂となった。自転車を押しながら必死になって坂を上がったが, 結局,ここもその先に人家があった。引き返す。

赤井谷地の北を通る道路へ,農地の間を下る(会津若松市河東町八田),13:55
方向的にはやはり右へ進むべきなので,とりあえず右を進んでみる。

赤井谷地の北を通る道路へ,行き止まりかと思ったが・・・(会津若松市河東町八田),13:56
前方左手に何軒もの建物があった。これならおそらくどこかに通り抜ける道があるはずと考えつつ坂を下る。

赤井谷地の北を通る道路へ,農家の手前で右折していた(会津若松市河東町八田),13:56
行き止まりかと思ったらそうではなかった。 後で地図を見ると,この右カーブはしっかり描いてあった。

赤井谷地の北を通る道路へ,前方に一般道?が見えた(会津若松市河東町八田),13:56

赤井谷地の北を通る道路(注)へ出た,ここで右折(会津若松市河東町八田),13:57
道へ出たところで左前右を撮影。 この辺まで来ると3年前の記憶が徐々に蘇ってきた。 1枚目:左(西)側に広がる水田地帯が強清水地区。 既述したように,赤井谷地を南北に通る新四郎堀(1662年竣工)が作られたのは,赤井川の水をこの水田地帯に引くためだった。

注:既述したが,この道路は 二本松街道(詳しくは,その上街道)というらしい。 この後,私が辿ったルートはどうやらこの二本松街道(会津と福島県中通りの連絡道路)を通ったことになるようだ。 会津若松〜猪苗代間は,磐梯山麓を通る本道(下街道)と猪苗代湖北岸を通る(上街道)に分かれていて, 現在通っている道はそのうちの上街道(滝沢本陣〜沓掛峠〜強清水〜赤井谷地〜戸ノ口〜十六橋〜猪苗代湖北岸〜猪苗代町) の一部。 戊辰戦争時,白虎隊もこの道を東に向って進軍したそうだ。

赤井谷地の北を通る道路(二本松街道)を東へ(会津若松市河東町八田),13:57
3年前は逆方向からこの辺まで来たのだった。これより先(西)に行くと赤井谷地から離れてしまうので, この辺(逆向きなので下り坂)で引き返すことにしたのを覚えている。

戊辰の役殉難 会津藩二十二士の墓(二本松街道,会津若松市河東町八田),13:58
少し進むと坂の途中に戊辰戦争の戦死者の墓とその案内板があった。

ここは前回採集できた唯一の場所(二本松街道,会津若松市河東町八田),13:59-14:00
さらに坂を上がる途中,道の左側に浅い溝(枯葉が厚く堆積していて水深はわずか)があった。 ここは3年前にこの赤井谷地周辺で採集できた唯一の場所だ(注)。 前回とほぼ同じ位置で採集(赤井谷地の北を通る道路脇の水路)。 3年前と同様,2種のミカヅキモ, Closterium strigosumC. ralfsiiがたくさん観察された。 いつでも干上がってしまいそうな浅い溝だが,意外に安定した水環境なのかも知れない。 ホシガタモ(Staurastrum punctulatum) も3年前と同様に観察された。ちょっと感動。
観察された生物: アカントキスチス(Acanthocystis turfacea), 太陽虫の一種, サッカメーバ(Saccamoeba), ナベカムリ(Arcella), ユーグリファ(Euglypha tuberculata), トリネマ(Trinema sp.), アスピディスカ(Aspidisca costata), メリディオン(Meridion), 他の珪藻各種, クロロモナス(Chloromonas), ミクロスポラ(Microspora), アオミドロ(Spirogyra), ミカヅキモ( Closterium strigosumC. ralfsii), ホシガタモ( Staurastrum punctulatum), ケンミジンコ,

注:3年前の同月同日は逆方向から坂を下ってきたのだが,その当時,この周辺は今回よりもやや薄暗く, 全体に湿っていたような記憶がある。それほど極端な差ではないが・・・。おそらく曇り空だったのだろう。

Part IX: 赤井谷地の北縁(〜天皇陛下御歌碑の地)
2008.05.04, 14:01 - 14:20