1998年度 川渡合同セミナー:種とは何か?  by 法政大学第一教養部 月井雄二

1 ゾウリムシにおけるシンジェンと種進化

シンジェン=生物学的種

 ソネボーンが1937年に接合型(mating type)を発見して以後,ゾウリムシ属では,各形態種ごとに 複数の相補的な接合型の組み合わせ(接合型グループ)があることがわかっている。各グループ間では 接合(有性生殖)が起こらないので,各々は互いに生殖的に隔離されていると判断され,それ故,独立 した種(いわゆる生物学的種,ないし遺伝学的種)であるとみなされてきた。ただし,当初は各グルー プを識別できる形質が接合型以外になかったため,各グループに種名をつけずに,シンジェン(syngen, 同質遺伝子個体群)という総称を用いて各々を番号で区別した(例えば,P. caudatumでは シンジェンは16あり,各シンジェンは2つずつの相補的接合型,例えばsyngen 1は接合型 E1とO1,syngen 3はE3とO3によって構成される)。
接合型グループ=シンジェンではない?

 後にヒメゾウリムシとテトラヒメナでは分子レベルで各シンジェンを識別できることがわかり各々に 学名がつけられた。一方,ゾウリムシ(Paramecium caudatum)では,分子レベルの比較を行な っても各接合型グループ間を識別できる違いは見つかっていない。このことは P. caudatumの シンジェン(正確には接合型グループ)は,ヒメゾウリムシやテトラヒメナと比べてグループ間の遺伝的距離 が小さいことを示唆している。また,接合型遺伝子の解析の過程で,P. caudatumではグループ間で 人為的に交雑を行なうと妊性のある子孫がとれることがわかった(Tsukii & Hiwatashi 1983)。 これらのことからP. caudatumの各接合型グループは果たして本当に生殖的隔離されているのか, すなわち,ソネボーンが定義したシンジェンと呼んでよいのかが問題になった。
 ただし,妊性があるとはいえ接合型グループ間の雑種では,染色体不分離が起こる,組換えが抑制さ れるなどある程度隔離が進んでいることを示唆する結果も得られている(Tsukii 1988)。したがって, 単純に隔離が起きていないともいいきれない。そこで,実際にグループ間にどの程度の違いがあるかを知 るために分子系統学的調査を行なった。

分子系統と接合型グループは一致しない

 最初に,ミトコンドリアDNA(mtDNA)の制限酵素断片の多型を調査したところ,mtDNAはA〜H の系統に分かれ,GとHの系統が他と大きく隔たっていることがわかった(Tsukii 1994)。しかし,mtDNAの系統と接合型のグループ分けとは一致しなかった。各mtDNA系統には複数の接合型が含まれ,同時 に同じ接合型が異なるmtDNA系統に重複してみられたのである。これは接合型グループ間の交雑によ り「遺伝子浸透(introgression)」が起きたとしてある程度説明できる。しかし,すべてを遺伝子浸透で 説明するにはあまりに重複が多すぎた。


図1 ミトコンドリアDNAの系統とシンジェン

 つぎに大核DNAを鋳型としてRAPD(Random Amplified Polymorphic DNA)法で核ゲノムの 分子系統を調査した。その結果,核ゲノムもmtDNAのG, H系統を持つ野外株が他と大きく隔 たっていた。これにより,ゾウリムシは大きく3つの系統に分かれることが確実になった。 しかし,核ゲノムの系統も接合型グループとは一致しなかった(Tsukii 1996)。


図2 RAPD法による大核DNAの系統樹

接合型グループは多系統?

 同じ接合型が複数のmtDNAもしくは核ゲノムの系統に見られるということは接合型がいわゆる 収斂進化を起こしている可能性を示唆する。それは,すでに野外株の中にその証拠といえる 接合型の多型が見つかっていることからも支持される(Tsukii 1988; 堀ら 1988)。 たとえばsyngen1のO1*はE1とだけでなくsyngen 3のE3と も接合する。また,syngen1のO12aはE12と接合する以外にsyngen 3のE3と疑似交配反応を起こす。
 これらの結果から,各接合型グループがシンジェン,すなわち遺伝学的種であるとする 従来の見方は適当でないことが強く示唆される。とはいえ,mtDNAや核ゲノムの分子系統に みられる著しい多様性や,既述した接合型グループ間の雑種で染色体不分離が起こるという 事実は,ゾウリムシ(P. caudatum)を単一の遺伝学的種とみなすのも不適切である ことを示唆している。

 詳しくは「ゾウリムシの遺伝学」(東北大学出版会 1999)を参照。


図3 ゾウリムシにおける種進化のパターン
接合型は変異すると他のグループの接合型と相補性を持つ場合があ る。このため,各接合型グループは「単系統」ではなくなる。その 結果,野外で交雑が起こる。系統が離れている場合は,核ゲノムは 混交せずミトコンドリアDNAの浸透だけが起こるが,系統的に近 い場合は核ゲノムも混交する。

 以上のように,ゾウリムシの進化は,生殖的隔離があれば別種,なければ同種,といった単純な種(遺 伝学的種)の定義ではとらえきれないことがわかってきた。そこで,以下では種とは何かについてあら ためて考えてみたい(注)。注:生物学における「種」の扱いには,種を操作概念(個々の生物を研究の対象として把 握するためのラベル)として捉える立場と,進化の単位としての種などのように,種を実 在するもの(個物)と捉える立場がある。ここでは後者の場合を論じる。

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