赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:06
道の脇には丸太が並べられてあった。そして,所々にこのような「湿原内立入禁止」の案内が立っていた。
たしかに,ここから先が赤井谷地だった。
赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:06
赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:07-13:09
ここで採集(赤井谷地の南東縁-1)。
以下のように,原生生物は少ない。
通常,湿原の端は少ないことが多いが,それにしても少なすぎる。
農耕地に隣接しているので,農薬等の影響もあるかも。
観察された生物:
クリプトモナス(Cryptomonas),
小型鞭毛虫数種,
ナベカムリ(Arcella),
スチロニキア(Stylonychia mytilus),
ディセマトストマ(Disematostoma minor),
レンバディオン(Lembadion lucens),
マルロモナス(Mallomonas),
トリボネマ(Tribonema),
珪藻各種,
ヨツメモ(Tetraspora),
ヒザオリ(Mougeotia),
アオミドロ(Spirogyra),
ワムシ,
ケンミジンコ,
ミジンコ,
赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:10
赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:11
道端に生えていたツクシ。スギナ(Equisetum arvense)の胞子のう穂。
赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:11-13:12
ここで採集(赤井谷地の南東縁-2)。
観察された生物:
トラケロモナス(
Trachelomonas volvocina,
Trachelomonas sp.),
アニソネマ(Anisonema),
ウロトリカ(Urotricha),
スチロニキア(Stylonychia),
プロトクルジア(Protocruzia),
キネトキルム(Cinetochilum margaritaceum),
トリボネマ(Tribonema),
ミクロスポラ(Microspora),
ワムシ,
ケンミジンコ,
ミジンコ,
赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:13
赤井谷地の南東縁を北へ,前方で道なりに右折(会津若松市湊町赤井),13:13-13:14
赤井谷地から東へ遠ざかる(会津若松市湊町赤井),13:15
赤井谷地の東,前方で道なりにさらに右折(会津若松市湊町赤井),13:15
1枚目:左前方に池が見えるが,池の中には藻塊等はなかった。ので採集せず。
元来た道へ出る(会津若松市湊町赤井),13:16
ここで左折すれば会津リクリエーション公園から来た舗装道へ戻る。
しかし,舗装道に戻ってしまうと,前回と同じになるので,この先,湿原での採集はできそうにない。
そこで,他に湿原に近付けそうな場所がないか,赤井谷地の南〜西縁に沿って移動してみることにした。
ということでここは右折。
再び赤井谷地へ(会津若松市湊町赤井),13:20
さきほど右折した場所を通り過ぎて湿原の南縁をさらに先へ進む。
赤井谷地,南東縁を右折(会津若松市湊町赤井),13:20
1,2枚目:南東縁を少し進むと,また右への分岐があった。
ここを直進すると湿原から離れてしまうので,ここで右折することにした。
赤井谷地,南縁を西へ(会津若松市湊町赤井),13:21
1,2枚目:右折した後の様子。湿原の南縁沿いを西に向って道が伸びていた。
赤井谷地,南縁を北西へ(会津若松市湊町赤井),13:22
道の右脇はさきほどの南東縁と同様,丸太で仕切られていて「湿原内立入禁止」の案内板が立っていた。
枯れ草が多く,所々で水が滲み出している程度で,池等は見当たらない。
赤井谷地,南縁を西へ(会津若松市湊町赤井),13:23
前方で再び右に折れ(注),北西向きに変わる。
注:手前にある左への分岐のことではない。その先。
赤井谷地,南西縁を北西へ(会津若松市湊町赤井),13:23
赤井谷地,途中から旧耕地の脇を通る(会津若松市湊町赤井),13:24
前方で道は左に折れ,前方に見える湿原の西側にある林に沿った道にぶつかる。
後でわかるが,林と湿原の間はかつては水田だったようだ。
湿原保護のために耕作を止めたのだろう。
旧耕地も湿原に含まれる(会津若松市湊町赤井),13:25
左にカーブした後,前方で右折し,林に沿った道を北へ向う。
ここにも「湿原内立入禁止」の看板が(注)。
注:既述したように,この辺はかつては田圃だった場所。現在は湿原の一部と看做しているようだ。
赤井谷地の西側を流れる水路(会津若松市湊町赤井),13:25
看板の脇には用水路(注1)が南北に通っていた(注2)。
注1:新四郎堀というらしい。
この後通過する強清水地区に水田を作る際,東を流れる赤井川の水を利用するため,
谷地の西側に沿って掘られた水路とのこと(1662年竣工,参照:樫村著,尾瀬ケ原と赤井谷地,歴史春秋社,2000)。
注2:文献によると,赤井谷地の周辺は農地化され,このような用水路が掘削されたことで,湿原の水はけが良くなり,
乾燥化が進んでいるという。そのため,湿原の西〜南側には潅木が進入してきており,徐々に湿原ではなくなりつつあるらしい。
これまでの画像を見てもたしかに南縁には木立が多いのがわかる。
Part VII: | 赤井谷地(西縁) 2008.05.04, 13:25 - 13:41 |