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2008.05.04, Part VI

赤井谷地(南東縁〜南西端)

赤井谷地の南東縁を北へ(会津若松市湊町赤井),13:06
1〜3枚目:右にカーブした後はまっすぐな道となる。 前方に見えるのは南西から見た磐梯山。

赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:06
道の脇には丸太が並べられてあった。そして,所々にこのような「湿原内立入禁止」の案内が立っていた。 たしかに,ここから先が赤井谷地だった。

赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:06

赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:07-13:09
ここで採集(赤井谷地の南東縁-1)。 以下のように,原生生物は少ない。 通常,湿原の端は少ないことが多いが,それにしても少なすぎる。 農耕地に隣接しているので,農薬等の影響もあるかも。
観察された生物: クリプトモナス(Cryptomonas), 小型鞭毛虫数種, ナベカムリ(Arcella), スチロニキア(Stylonychia mytilus), ディセマトストマ(Disematostoma minor), レンバディオン(Lembadion lucens), マルロモナス(Mallomonas), トリボネマ(Tribonema), 珪藻各種, ヨツメモ(Tetraspora), ヒザオリ(Mougeotia), アオミドロ(Spirogyra), ワムシ, ケンミジンコ, ミジンコ,

赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:10

赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:11
道端に生えていたツクシ。スギナEquisetum arvense)の胞子のう穂。

赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:11-13:12
ここで採集(赤井谷地の南東縁-2)
観察された生物: トラケロモナス( Trachelomonas volvocinaTrachelomonas sp.), アニソネマ(Anisonema), ウロトリカ(Urotricha), スチロニキア(Stylonychia), プロトクルジア(Protocruzia), キネトキルム(Cinetochilum margaritaceum), トリボネマ(Tribonema), ミクロスポラ(Microspora), ワムシ, ケンミジンコ, ミジンコ,

赤井谷地の南東縁(会津若松市湊町赤井),13:13

赤井谷地の南東縁を北へ,前方で道なりに右折(会津若松市湊町赤井),13:13-13:14

赤井谷地から東へ遠ざかる(会津若松市湊町赤井),13:15

赤井谷地の東,前方で道なりにさらに右折(会津若松市湊町赤井),13:15
1枚目:左前方に池が見えるが,池の中には藻塊等はなかった。ので採集せず。

元来た道へ出る(会津若松市湊町赤井),13:16
ここで左折すれば会津リクリエーション公園から来た舗装道へ戻る。 しかし,舗装道に戻ってしまうと,前回と同じになるので,この先,湿原での採集はできそうにない。 そこで,他に湿原に近付けそうな場所がないか,赤井谷地の南〜西縁に沿って移動してみることにした。 ということでここは右折。

再び赤井谷地へ(会津若松市湊町赤井),13:20
さきほど右折した場所を通り過ぎて湿原の南縁をさらに先へ進む。

赤井谷地,南東縁を右折(会津若松市湊町赤井),13:20
1,2枚目:南東縁を少し進むと,また右への分岐があった。 ここを直進すると湿原から離れてしまうので,ここで右折することにした。

赤井谷地,南縁を西へ(会津若松市湊町赤井),13:21
1,2枚目:右折した後の様子。湿原の南縁沿いを西に向って道が伸びていた。

赤井谷地,南縁を北西へ(会津若松市湊町赤井),13:22
道の右脇はさきほどの南東縁と同様,丸太で仕切られていて「湿原内立入禁止」の案内板が立っていた。 枯れ草が多く,所々で水が滲み出している程度で,池等は見当たらない。

赤井谷地,南縁を西へ(会津若松市湊町赤井),13:23
前方で再び右に折れ(注),北西向きに変わる。

注:手前にある左への分岐のことではない。その先。

赤井谷地,南西縁を北西へ(会津若松市湊町赤井),13:23

赤井谷地,途中から旧耕地の脇を通る(会津若松市湊町赤井),13:24
前方で道は左に折れ,前方に見える湿原の西側にある林に沿った道にぶつかる。 後でわかるが,林と湿原の間はかつては水田だったようだ。 湿原保護のために耕作を止めたのだろう。

旧耕地も湿原に含まれる(会津若松市湊町赤井),13:25
左にカーブした後,前方で右折し,林に沿った道を北へ向う。 ここにも「湿原内立入禁止」の看板が(注)。

注:既述したように,この辺はかつては田圃だった場所。現在は湿原の一部と看做しているようだ。

赤井谷地の西側を流れる水路(会津若松市湊町赤井),13:25
看板の脇には用水路(注1)が南北に通っていた(注2)。

注1:新四郎堀というらしい。 この後通過する強清水地区に水田を作る際,東を流れる赤井川の水を利用するため, 谷地の西側に沿って掘られた水路とのこと(1662年竣工,参照:樫村著,尾瀬ケ原と赤井谷地,歴史春秋社,2000)。
注2:文献によると,赤井谷地の周辺は農地化され,このような用水路が掘削されたことで,湿原の水はけが良くなり, 乾燥化が進んでいるという。そのため,湿原の西〜南側には潅木が進入してきており,徐々に湿原ではなくなりつつあるらしい。 これまでの画像を見てもたしかに南縁には木立が多いのがわかる。

Part VII: 赤井谷地(西縁)
2008.05.04, 13:25 - 13:41