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2015.07.12, Part VIII

千松寺橋〜羽前小松駅前〜嬉ヶ沢橋(国道113号)〜沼ノ口湿原へ

羽前小松駅へ(川西町),12:47
前方で左にカーブし犬川にかかる橋を渡る。 国土地理院の地図には,この橋の名前が記載されていない。 前後にある橋(万寿橋,千寿橋)の名前はあるのだが,,,。 ここを通ることにしたのは,名称不明な橋の名前を知りたかったのも1つの理由。

名称不明の橋を渡るとともに名称確認,「千松寺橋」だった(川西町),12:48
2枚目:完成は昭和51年。 3枚目:名前は「せんしょうじはし」。 橋に来る途中に「千松寺」という寺があり,地区名にもなっていた。 その名前からとったのはほぼ間違いない。ということで「千松寺橋」と推定した。

千松寺橋を渡る(川西町),12:48-12:49
1枚目:こちらが下流。 3枚目:こちらが上流,のはず。 4枚目:iPad mini で現在地を確認。

橋を渡った後,前方を右折(川西町),12:50

羽前小松駅へ(川西町),12:51-12:52
1枚目:住宅地へ入ると,路面が赤く染まっていた。 先月(2015.06.07) 訪れた猪苗代町と同じだ。 2枚目:下水路から赤い成分が溢れだしたように見える。 ということはこの辺の土地は鉄分を多く含んでいる,のだろうか?

前方を左折,羽前小松駅へ(川西町),12:54

羽前小松駅へ(川西町),12:55
駅前通りが結構長い。遠くに駅舎が見える。

駅舎前の通りの両側にタクシー会社が2軒ある(川西町),12:56

左のタクシー会社に入る(川西町),12:57
たまたまタクシーが戻ってきたところだったので, これならすぐに乗車できるのでは,と期待して中へ入った。

タクシー会社に入る前に駅舎を望遠撮影(川西町),12:57, 13:03

中へ入って乗車したい旨を伝えるとすぐに応じてくれた。 ただし,沼ノ口湿原についてはまったく知らない様子。計2名のスタッフ(いずれも女性)に尋ねてみたが, いずれも知らないとのこと。あまり知名度はないようだ。 もっともここは川西町で,沼ノ口湿原は隣接する飯豊町にある。 それほど地元でもないので,知らないのはやむをえないかも。。。

タクシーにて,前方を左折して国道113号に入る(飯豊町),13:06
2枚目:iPad mini で現在地を確認。

国道113号を西〜西南西へ(飯豊町),13:07
左にあるのが「道の駅いいで」。

さて,この後が問題で,めざす沼ノ口湿原については, 嬉ケ沢橋という橋の近くから入っていく,という情報以外まったく何もなかった。 しかし,肝腎の嬉ケ沢は,地図を見ると, この国道113号に沿って流れる宇津川(白川の支流)ではなく,途中から南へ向う白川(しらかわ?)の支流として記してある。 そこにも橋の印があるので,そこが嬉ケ沢橋のようにも思えるのだが,それだと沼ノ口湿原からかなり離れてしまう (沼ノ口湿原の位置は航空写真でわかっていた)。 沼ノ口湿原の近くにも宇津川の支流にかかる橋(国道113号)があるようなので,そこが嬉ケ沢橋の可能性もある。 しかし,支流(沢)の名前がないのでなんともハッキリしなかった。
その宇津川の支流にかかる橋をタクシーで過ぎる際,橋の袂に「嬉ケ沢橋」の名前があるのに気づいて,途中でUターンしてもらった。 ただし,橋の袂は道幅が狭いので,しばらく戻ってもらい停められる場所で降ろしてもらった。 (国道なので結構交通量が多い上,歩道部分が狭いのでなかなか駐車スペースを見つけられなかった)

タクシーを降りたところで左前右を撮影(飯豊町),13:16
1枚目:乗車して来たタクシーを見送る。 3枚目:この先に「嬉ケ沢橋」があるので,とりあえず橋の近くまで歩いてみることにした。

橋の手前で左〜前をパノラマ撮影(飯豊町),13:18
1枚目:道路の向い側にわずかだが人が入っていけそうな場所があった。 しかし,道路際には何の案内もない。 2枚目:前方に見えるのが「嬉ケ沢橋」のはず。

ここがそこだ(飯豊町),13:18
1枚目:なんとか人が通れそうな踏跡が続いていた。 2枚目:iPad mini で現在地を確認。

奥に入る前に橋名を確認(飯豊町),13:19
たしかにここには「嬉ケ沢橋」と書かれている。 ただし,読みが違った。ここには「Ureshigasawa Bridge」と書かれている。「うれしがさわ」だ。 一方の国土地理院の地図では,白川側の「嬉ケ沢」の「嬉」部分にわざわざ「うるし」と振り仮名がふってある。 う〜む,これはいったい・・・?
漢字表記は同じだが,読みが違うということだろうか? それともどちらかが間違っている?
なお,ネット上にある地図のほとんどは国土地理院と同じネーミングを採用している。 宇津川側の支流についてはとくに名前は記されていない。

沼ノ口湿原へ(飯豊町),13:19-13:20
1〜3枚目:踏跡を辿って樹林の中に入ったところでパノラマ撮影。 2枚目:前方になにやら標柱がある。
また,手前に錆びた鉄製の支柱らしきものがある。途中で折れたように見える。 ネットにある沼ノ口湿原の写真には, ここに鉄製の案内板があった様子が写っている。 そこには「姥懐県行造林,災害予防」と書かれてある(注)。その下には 「面積 6.06 ha,樹種 スギ, アカマツ, カラマツ,期間 自 昭和12年8月,至 昭和72年7月, 山火事防止 山形県」とあるので,その案内板は昭和12年当時(か,それ以降)に設置されたことがわかる。 昭和12年は1937年,78年前だ。

注:「姥懐」(うばふところ)というのは区域名で, 「建築基準法第6条第1項第4号の規定による市町村の区域,平成8年6月11日山形県告示第652号,改正<中略>平成25年4月12日告示第405号」 という文書によると,「飯豊町大字手ノ子」内の区域として,沼ノ口の前に「姥懐」の名前がある。 境界はどこかわからないが,さきほどの嬉ヶ沢橋の東側一帯を「姥懐」と呼ぶようだ。 その南側が「沼ノ口」ということなのだろう。
それにしても「姥懐」というのは変わった名前だが,語源には諸説あるらしい。 いわゆる姥捨山伝説に関わるものが多いそうだが,ネットで公開されている木村氏の説は, もともとは「うば・ふところ」ではなく「うばふ・ところ」で,読みは「うぼうところ」。 意味は「中世の頃,見晴らしのよい場所にあった交易の中心地」だろう,とのこと。 たしかに,この辺は斜面沿いで北を宇津川が流れる見晴らしがよい場所だ。ここもその意味かも知れない。 さきほど訪れた下小松古墳群は山形県内でもっとも古墳の多い場所とのことだが,それだけこの辺では古くから多くの人が暮らしていた訳だから, 交易の中心地がこの辺にあってもおかしくないだろう。現在の様子からは想像しずらいが,,,。

沼ノ口湿原へ(飯豊町),13:20
1〜3枚目:標柱の手前で再度,パノラマ撮影。
標柱には「沼ノ口湿原自然環境保全地域 山形県」と書かれている。かなり古そうだ。
踏跡は標柱の前で左に折れて,坂を上がって行く。 足下は大量のスギの枯葉・枯枝で覆われている。ふかふかして歩きやすい。
4枚目:iPad mini で現在地を確認。 まだ入ってわずかしか進んでいない。

Part IX: 沼ノ口湿原(1)
2015.07.12, 13:21 - 13:29