公開講演会:生物多様性研究・教育を支える広域データベース
原生生物情報サーバ  月井雄二(法政大学)
1 原生生物情報サーバの紹介
back 1-2 データベースを作る意義 back

 以上のように,当初は自分達の研究素材(画像等)を公開することを目的としてスタートした「原生生物情報サーバ」だったが,途中から分類データベースとしての性格を強めていった。それとともに,私自身の原生生物の分類に関する知識も増え,知識の増加に伴って分類学に対する興味も高まった。また,その過程で以下のような原生生物における分類データベースの必要性とその意義に気づくことができた。

○原生生物の多くは保存標本が作れない

 殻を持つ原生生物の中には,その殻の形で種を同定できるものがいる。したがって,その場合は殻を保存標本として利用することができる。しかし,ほとんどの原生生物は殻をもたず死ぬと同時にその形を失ってしまう(図2)。このため,保存標本を作るのは極めて難しく,他の生物のように標本に頼った分類を行うことができない。やむなく,従来,原生生物の分類は記載と線画に頼って行われてきたが,このことが原生生物(とくに原生動物)の分類を混乱させる一因にもなっていた。


図2 繊毛虫の一種 Halteria grandinella

細胞の横方向に真直ぐに伸びた棘毛がある。こういった構造は細胞を固定しただけでも崩れてしまう。

 そこで考えられるのが,生きた状態の細胞を写真や動画に記録し保存標本の替りとして利用する方式である。勿論,いかに精緻な画像であっても本物の標本の完全な替わりにはならない。しかし,元々保存標本が作れない原生生物であれば,画像を記録することが最良の選択肢であるのは間違いない(注1)。また,画像をデジタル化してネットワーク上で公開すれば,世界中の誰もが容易に見ることができる。これは保存標本にはない優れた特徴であり,これによって原生生物の分類に関する知識の普及が促進されるはずである。さらにいえば,仮に今後国内あるいは世界各地にいる原生生物研究者が自分達の周囲にいる原生生物を採集・撮影して我々と同様なデータベースを公開すれば,それらの画像をネット上で比較・検討することで,分類学研究そのものにも役立てることができるのではないかと期待している。

注1) 微生物の場合は,生きた生物そのものを「系統保存」して,それを基準に種の同定を行なうこともある。しかし,系統保存されているのは既知種のごく一部に過ぎず,すべての種を系統保存するのは現実的にはほぼ不可能と言ってよい。また,系統保存する場合は,野外と同じ培養条件を確保するのが難しいため,培養している間に細胞の形態や生理学的特徴が変化してしまうこともある。

○身近にたくさんの種類がいる

 既述したように,原生生物の多くはコスモポリタンである。これは私のように網羅的なデータベースを作ろうとする者にとってはサンプルを集めやすいので都合がよいが,一般的には非常にやっかいな特徴といえる。

 世界中ではこれまでに140万以上の生物種が発見され,未発見のものも含めると3000万,あるいは1億といった膨大な数になると言われているが,翻って我々の日常生活を考えると,自分の目の届く範囲にいる動物や植物の種類はごく限られている。そのため,近所の川や林で鳥や昆虫,魚などを観察する際には,市販のガイドブックを何冊か用意すれば通常は十分事足りる。

 しかし,原生生物の場合は,そういう訳にはいかない。近所の池や水たまりから,わずか数十mlの水や泥を採集するだけでも,そのサンプルからは世界中に分布する数多くの種が見つかる可能性があるからだ。実際,ガイドブックどころか専門書を何冊調べても,属名すらわからない原生生物に遭遇することは決して稀ではない(図3)。

 かりに身近にいる原生生物を種のレベルまできちんと同定しようとするなら,それまでに発表された原生生物の分類に関するすべての文献を,原著論文まで含めて,手許に置いておかなければならなくなる。しかし,それはあまりに非現実的な話である。一方,データベースにそれらの膨大な情報を蓄積しネットで公開すれば,誰もが手軽にそれらの情報を利用して,採集した原生生物の種類を調べることができる。


図3 所属不明の原生生物

細胞全体に多数の鞭毛(繊毛?)と触手がある。移動時には触手が縮み高速で回転しながら素早く泳ぐ。繊毛虫のActinobolinaに似るが細胞口が見当たらないなど違いも多い。日本と米国で観察された。

○たくさんいても一度に観察できるのはごくわずか

 身近にたくさんの種類がいるとはいえ,実際にそれらを観察するとなると話は別である。わずかなサンプルであっても,そこにいるすべての原生生物を観察するのは事実上不可能と言ってよい。通常,顕微鏡観察用のプレパラートにのせられる水の量は多くても0.1 mlかそれ以下である。これだけ僅かなサンプルでもその全体を観察し終えるには早くても10分程度はかかる。となると 1 mlの水をくまなく観察するには100分ないし2時間程度はかかるという計算になる(注2)。例えば 1 t(トン;1000リットル)の水の中に1000匹の原生生物がいたとしても,1リットル当りではわずか1匹にしかならない。このわずか1匹を発見するだけでも単純計算で最大2000時間も費やさなければならないことになる。眼の前に1000匹(個体)も生物がいれば,動物や植物なら絶対に見逃すことはないはずだが,原生生物の場合はほとんどいないのと同然なのである。

注2) ゾウリムシやアメーバプロテウスなど大型の原生生物であれば,低倍率の実体顕微鏡で比較的簡単に見つけることができる。しかし,これらは哺乳類で言えば,ゾウやクジラのようなもので,原生生物の中ではかなり特殊な部類に属する。他の数多くの原生生物は実体顕微鏡ではその存在すら確認できないので,400倍あるいはそれ以上の倍率で観察する必要がある。そのため一度に観察できる量がごく限られてしまうのである。

 さらに,通常,多くの原生生物はシストと呼ばれる形で休眠しているため観察しずらいという問題もある。野外の環境は変化が激しいので,原生生物は自分の生育に適した条件になった時にシストから出て素早く増殖し,環境が悪化すると再びシストの中に入って生き残りをはかっている。シスト化した原生生物を観察するには,シストから出て増殖しやすい環境を作ってやらなければならないが,すべての種類に対してそのような条件を作るのは事実上不可能であり,その意味でも採集したサンプルで観察できるものはごく一部に限られてしまうのである。

 このような性質を持っているため,これまで原生生物の種の多様性については十分に理解されて来なかった。そこで,観察したサンプルの画像を長年少しずつでもデータベースに蓄えていけば,後々になって各生物種ごとの種内変異の研究等に役立てることができるはずである。

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