八重化と大輪化は花の育種の目標とされているが,変化アサガオにおいても,江戸末期に牡丹咲という八重花が種々の変化咲と組み合わされて珍奇美麗な花が育成された。一方花径の拡大も少しずつ進んだ。アサガオの花は径5〜6センチの小輪丸咲きで,江戸時代の変化アサガオもほとんどこのサイズの花であったが,「牽牛品類図考」(1815) などには,並葉の大輪の図があり,花径13センチ位に達すると書いている。「あさがほ叢」(1817) にも日傘という名の大輪があり,花弁の数が多く,雄しべが9本,雌しべらしいもの1本で,花径約11センチとある。 花を大きくする遺伝子は州浜が代表格で,この遺伝子が発現すると葉では中央片が短く縮まり,全体が丸味を帯びて州浜状となり,花弁の数が6枚以上に増え,花が大型化する。州浜の起源はなおはっきりしないが,嘉永・安政の「朝顔三十六花撰」や「両地秋」に州浜葉と説明されている図があるので,これが確実ならばこれより少し前に誕生したことになる。肥後六花の一つとして現在でも熊本で観賞されている肥後アサガオはこの州浜遺伝子が基本になっている。しかし江戸時代の図譜を見る限りではそれほど大きな花は育成されていない。州浜を基にした大輪アサガオは明治19年に花径15センチの「常暗」,明治30年代には花井善吉が花径18センチ余りの「紫宸殿」を育成した。この頃,洲浜葉にとんぼ葉を組み合わせた蝉葉という複合葉を持つ大輪花が育成された。この蝉葉大輪の育成がその後の大輪咲きの基礎を築き,主流となった。大輪咲きには他に大黒葉系,恵比須葉系などもある。大黒葉は洲浜葉に芋葉を組み合わせたもの,恵比須葉は蝉葉に芋葉を加えたものである。明治19年に京都に大輪アサガオの同好会ができ,各地の同好会も変化アサガオからしだいに大輪アサガオ作りに力を入れ始め,大正時代 (1912~26) には大輪アサガオ栽培が主流になっていった。昭和 (1926~89) になると大阪で行灯作りが盛んになって,現在ではほとんど大輪のみが栽培されている。大輪アサガオの栽培法は地方によって特色がある。大阪の行灯作り,東京のらせん作りや 大輪切り込み作り,名古屋の盆養切り込み作り,京都の大輪数咲き作り,肥後熊本の中輪一本仕立てなどである。現在では,24センチを越える巨大輪が咲いている。
《 画 像 一 覧 》(サムネイル画像)
大輪アサガオについて多数の解説書が出版されている。変化アサガオを含めたアサガオ全般についての解説書も多い。主なものをあげる。
文献
- 三宅驥一, 今井喜孝 (1934) 原色朝顔図譜 三省堂.
- 中村長次郎 (1961) アザガオ 作り方咲かせ方 誠文堂新光社.
- 米田芳秋, 竹中要 (1981) 原色朝顔検索図鑑 北隆館.