電子顕微鏡



   いま私達の生活の中には、様々な形での視覚による情報が急速に増えており、ますます重要な位置を占めるようになってきている。生物学における視覚情報としては、まず、観察と描写による記述があった。様々な動物や植物が紹介されたが、深い地中や海中の、高い山々や海の向こうの、目にすることの出来ない遠い世界の不思議な生き物も数多く描かれてきた。

   そのような世界の一つ、「我々の肉眼では見ることの出来ない微小な世界」を覗き込む事が出来る道具として登場したのが(光学)顕微鏡である。顕微鏡は1550年頃、ちょうど日本にイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルがやってきた頃であるが、オランダで眼鏡を作っていたハンスとザッカリアスのヤンセン (Jansen)父子によって発明されたと言われている。レンズそのものは、12〜13世紀には知られていたという。1608年、日本では、関ヶ原の戦いの後、徳川幕府がその基礎を固めつつあった頃、かの有名な、ガリレオ・ガリレイによって望遠鏡が発明されている。彼は、この望遠鏡によって、火星の観察を行い、また木星の衛星を発見している。

   雨の溜まり水や唾液の中に、顕微鏡によって始めて見ることが出来るような小さな生き物が蠢いている事を見たのは、オランダのデルフト生まれの商人アントニー・ファン・レーヴェンフック (Antoni van Leeuwenhoek) であった。彼は、趣味としてレンズの研磨と顕微鏡の組立をしており、生涯に400個近くの顕微鏡を組み立てたという。1675年以降、レーヴェンフックは数十年に渉って観察を続け、様々な微生物を描写してイギリスの科学アカデミーに報告している。彼の用いた顕微鏡は、単眼の(レンズが一つしかない)簡単なもので倍率も50〜300倍程度のものであったが、長年にわたって膨大な報告を行い、微小な生物の世界を紹介し続けた。彼の報告から、今まで想像もしなかった驚くべく世界が我々のすぐ身近に存在することが分かってきた。様々な所から得た水滴を顕微鏡で観察して新しい生き物を描写し報告するというのが、17世紀末から18世紀にヨーロッパの中産階級で大流行したという。

<微生物研究の歴史の参考文献:柳田友道 微生物科学 学会刊行センター、西村三郎 多細胞動物起源論 中公新書>



   顕微鏡の観察には太陽光などの光を用いる。光は、基本的な性質として、粒子としての性質とともに波としての性質も持っている。波には、波長がある。太陽光には、波長の異なった様々な光が混じっている。それらのうち、我々の目に感じることが出来る光を可視光という。さらに可視光の中にも、様々な波長の光が混じっている。この世に色というものがあることや、虹やプリズムで光が赤・橙・黄色・緑・青・藍・紫に分かれて見えるのはこのためである。光の波長毎に空気中の水滴やガラスを通るときの屈折率が少しづつ異なっている事から起こる。赤が波長の長い方で、これより波長が長くて我々には感じることの出来ない領域の光は赤外線と呼ばれる。(我々は、赤外線を見ることは出来ないが熱として感じることは出来る。)紫より波長が更に短く我々には見えない領域の光が紫外線である。

   可視光によって観察する光学顕微鏡は、レーヴェンフックの球状レンズ一個のものから、やがて集光器(コンデンサー)の発明、複合レンズの作製など、様々な改良を加えられ、レンズそのものに由来する様々なボケの原因(収差と呼ばれる:色収差や球面収差等)に対処しながら、より明瞭な像の観察を求めて発達を続けてきた。油浸、暗視野、位相差、干渉位相差などの技法が様々に使われ、より微小なものを鮮明に観察する努力が続けられている。
   しかし、1873年、アッベ (Abbe) によって次のことが示された。

   光学顕微鏡によって、互いに近接した2点が2点として見分けられる最小距離(分解能:d、<2点がこれ以上近ずくと一点にしか見えないようになる>)と、光の波長λとの間には、

             d=0.61λ/n sinα

  (分母の<n sinα>は、対物レンズの開口数といわれるもので、通常およそ 1.4 〜 1.5と言う値になる。n はレンズの屈折率を、αは入射光の開き角を示す。)

   の関係がある。上の式からは、分解能dの値を小さくするには、分母が通常およそ 1.4 〜 1.5と言う値に定まっているので、後は分子の方のλの値を小さくする、即ち波長の短い光を使う他ないことが分かる。

   可視光線の波長は短波長側(紫側)で約 400nm (nm;nanometer ナノメーター:10-9m、10億分の1メートル)であるので、上の式からは、可視光線を使う限り分解能は約200nm(約0.2ミクロン:0.0002ミリm)より小さくはならないと計算される。これより短い距離しかない二点は光学顕微鏡ではどう改良しても一点にしか見えないということである。1000倍程度の倍率が得られることになるが、小さな細菌や、細胞内小器官、色々な病変に伴って現れる細胞内構造などは、その存在は見えてもそれ以上の解析は出来ないことを意味している。また、多くのウイルスの大きさも、100nmより小さいので光学顕微鏡では観察できない。

   もっと微小なものを顕微鏡で観察するには、可視光線の波長よりももっと短い“何か”を用いた、<光学>顕微鏡とは異なった<何か>顕微鏡が求められた。その“何か”が我々の前に姿を現し始めたのは、上に述べたAbbeの指摘より100年以上後のことになる。1924年、ド・ブロイ (de Broglie) によって、電子が光と同じように波の性質を持つことが明らかにされた。続いて1926年、ブッシュ (Bush)が、ちょうどレンズが光を屈折して曲げるように、磁界や電界が電子線を曲げるレンズ作用を持つことを見いだした。この発見が、可視光より波長の短い”電子”を光の代わりに用いる<電子>顕微鏡の発明への理論的な基礎となった。

   1932年、ルスカ (Ruska) らによって始めて発表された電子顕微鏡像は、13倍に拡大された金網の像であった。

   電子の加速電圧 (V)と波長λとの間には

               λ=1.23/√V (nm)

   の関係がある。加速電圧Vを大きくすれば分母が大きくなるので、λが小さくなる、即ち短い波長が得られることになる。従って加速電圧を大きくすれば、より高い分解能(より近接した二点を識別できる)が期待できることになる。

   ただ、加速電圧が常に安定していれば、連続して一定の波長の電子線が得られることになるが、加速電圧が少しでも変動すると電子線の波長に大きな影響を与え、像に大きな乱れを生じさせることになる。また、電子線は物質の中を通過するときに散乱されやすく透過能が低い。生物試料の観察に良く用いられる100kvの加速電圧では、空気中では約1cm程度の透過能しかない。従って、顕微鏡内部は高い真空度を保つことが必要になる。

   現在の、高性能電子顕微鏡は、加速電圧の安定性、高真空の保持、高性能電子レンズの開発、回折収差や球面収差といった顕微鏡に常についてまわる収差への対応など、一つ一つを乗り越えて到達したものである。

   現在、広く使われている電子顕微鏡には、大きく分けて二つのタイプがある。

1)透過型電子顕微鏡 (Transmission Electron Microscope ; TEM)



   上に述べた歴史は、このTEMに当てはまる。光の代わりに電子線を、ガラスレンズの代わりに電子レンズを用いているが、基本的な構成は光学顕微鏡と同じである。光学顕微鏡では、様々な波長の光の吸収の差によってコントラストを得るが、電子顕微鏡では光学顕微鏡と異なり、像を直接見ることは出来ないので、試料を透過してきた電子線を蛍光板に当て、蛍光物質を発光させて見るか写真に撮る。電子が電子線の通路に置かれた試料に当たるとき、一部の電子は試料中の原子によって散乱される。試料中の原子で散乱されずに蛍光板に到達した電子は、そのエネルギーで蛍光板を明るく光らせる。電子が散乱された部分は電子が蛍光板に到達しないので蛍光板上では暗い影となり、これによってコントラストが生じ像が見えるようになる。

   細胞を観察するには細胞が厚すぎて電子線を透過しない、細胞の水分が鏡筒内の高真空下では沸騰してしまうなどから、予め細胞を固定・脱水してプラスチックに埋め込み(包埋し)、ガラス製やダイヤモンド製の刃(ガラスナイフ・ダイヤモンドナイフ)で電子線が透過出来るような薄い切片(超薄切片)に切って観察する。しかし、ウイルスを含めて生物の主な構成元素である水素(H)、炭素(C)、窒素(N)、酸素(O)などは原子が小さいので電子が散乱され難い。電子の多くが通過してしまうと蛍光板上にコントラストが得られないことになり、そのままでは観察出来ない。そのため、生物試料の観察には、試料にオスミウム(Os)、鉛(Pb)、タングステン(W)、モリブデン(Mo)、ウラン(U)等の質量が大きく原子の大きな重金属を結合させ、電子を散乱させやすくしてコントラストを得る電子染色が行われる。ウイルス粒子、蛋白質、核酸の観察には、ネガティブ染色法や金属蒸着法が用いられる。

   現在、我が国で最も大きいものでは、加速電圧3000kv、最大倍率100万倍、分解能0.14nmのものが大阪大学で稼働している。


2)走査型電子顕微鏡 (Scanning Electron Microscope; SEM)



   試料に電子線を照射すると試料から二次電子、X線、オージェ電子等が発生する。電子の反射もある。電子線源(フィラメント)から発した電子線を細く絞った電子線束(ビーム)として試料に照射する。ビームに試料上を走査させ、発生した二次電子(目的によっては反射電子も)を二次電子検出器(陽極)で検知し、増幅してビームの走査に同調してモニター(ブラウン管・CRT)上に走査させて像を得る。二次電子はエネルギーが低いので試料表面のごく近くから発生したもののみを検することが出来る。従って、主に試料表面の凹凸情報が得られる。非常に深い焦点深度が得られるので、凹凸の多い試料であっても全体に焦点のあった明瞭な像を得ることが出来る。
 

<参考文献:矢崎和盛: 電子顕微鏡 蛋白質核酸酵素 Vol 39, 1899-1910,  共立出版

(矢崎 和盛<法政大学>)

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