古図譜のアサガオで紹介したが,江戸の変化アサガオは日本独特のものであり,園芸花卉として世界的に観ても高いレベルに達していた。しかし幕末から明治維新への激動の波を受けてアサガオ栽培も一時的に衰退した。しかし明治中頃から栽培熱が高まり,明治末期には第3次朝顔栽培ブームを迎えた。ヨーロッパではダーウインの「種の起源」(1859)が出版されたのが幕末期にあたり,植物の雌雄性と交配についての知識が育種の基礎となって進展しており,それらの知識が日本にも輸入された。したがって明治のアサガオ栽培第三次流行期には,アサガオでも人工交配が行われるようになった。賀集久太郎の「朝顔培養全書」(明治28年,1895年)に人工交雑法について最初の記載があり,その2年後には安田篤が「朝顔の人工的異花受胎に就て」報告している。若名英治は「朝顔の研究」(明治35年,1902年)を発行し,交配法を議論した。この「朝顔の研究」第1巻に永沼小一郎は「異種媾媒について」という題で解説した。岡不崩は葉の複雑さにおいて江戸のアサガオを越える宝簑葉を育成している。この葉は極端に細く裂けたもので,糸柳葉か針葉が集まった感じのものである。この宝簑葉は新しい人工交雑法による育種の成果であろう。戸波虎次郎は「牽牛花通解」(1902)の中で,アサガオを栽培するとき性と筋の別を心得ておくべきだと書いている。現在の言葉でいうと,性も筋も一つの遺伝子が葉,茎,花を通して多面的に発現するもので,性は劣性ホモで種子ができるもので簡単に系統維持できるのに対し,筋では劣性ホモの出物に種子が実らないため,親木(ヘテロ型)から採種する必要があるものだ。親木を何本位育てればよいか書いているが,分離比という考え方までには至ってない。交配については,この本の末尾に数行触れているだけである。
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