奈良時代に中国から漢方薬として渡来したと推定されるアサガオは最初牽牛(けんご),その種子は牽牛子(けんごし)と呼ばれていたが,朝早く美しく咲く花として注目され,牽牛はしだいに朝顔と呼ばれるようになった。美的観賞の対象となったのである。江戸時代になると,俳句,浄瑠璃,歌舞伎などにも登場し,アサガオが広く庶民の花として愛好されるようになった。渡来以来の青色丸咲の花は『平家納経』(1164)に描かれている。白い花が江戸時代に入る前に出現したらしいが,文献としては 1664年に初めて白花が記録された。17世紀末の文献には白,赤,浅黄(淡青),るり色の花や二葉朝顔という矮性のアサガオがあること,また平賀源内の『物類品隲』(1762, 宝暦12年)には,黒白の染分け花,八重咲があると記述されており,1803 (亨和3)年の『本草綱目啓蒙』には,切咲,桔梗咲,孔雀咲などが記述されている。江戸後期になると変化アサガオ栽培がブームとなった。第1次ブームは文化・文政期で,江戸文化の爛熟期にあたり,多くの新しいタイプの変わりものが出現した。『牽牛品類図考』,『花壇朝顔通』,『朝顔叢』,『丁丑朝顔譜』などのアサガオ専門図譜が文化12年(1815)から文化14年にかけて出版された。第2次ブームは嘉永・安政期(1848-1860年)である。この時期にも乱菊,林風,燕などの新しい変わりものが出現したが,栽培の主流はそれまでに出た変わりものに,牡丹咲という雄しべと雌しべが花弁状に変わる性質が組み合わされて,変化アサガオの花は一層複雑で美麗な姿となった。特に采咲,獅子咲,台咲に牡丹を入れた珍奇な花が,嘉永7年 (1854)に出た『三都一朝』や『朝顔三十六花撰』,安政4年 (1857)の『都鄙秋興』などの専門図譜に描かれている。もちろん,これ以外にも各種の変わりものが複合されて,まさに変化アサガオの名にふさわしく,千変万化する珍花奇葉が栽培されたのである。
主なアサガオ古図譜(江戸時代)
- 峰岸正吉 「牽牛品類図考」 文化12年(1815)
- 壷天堂主人「花壇朝顔通」 文化12年(1815)
- 四時庵形影「朝顔叢」 文化14年(1817)
- 峰岸竜父「牽牛品」 文化14年(1817)
- 秋水痩菊「丁丑朝顔譜」 文化15年(1818)
- 秋水痩菊「朝顔水鏡」 文政元年(1818)
- 杏葉館・横山万花園「朝顔三十六花撰」 嘉永7年(1854)
- 幸良弼・成田屋留次郎「三都一朝」 嘉永7年(1854)
- 幸良弼・成田屋留次郎「両地秋」 安政2年(1855)
- 幸良弼・成田屋留次郎「都鄙秋興」 安政4年(1857)
江戸の変化アサガオの解説書
- 渡辺好孝(1984)変わり咲き朝顔, 日本テレビ放送網.
- 柏岡精三, 荻巣樹徳監修 (1997) 絵で見る 伝統園芸植物と文化, アボック社出版局.
- 米田芳秋 (1999) 江戸の変化アサガオ 園芸美の追求, 形の文化誌 [6] 花と華 p.29, 工作舎.